・・・ 稚児が仰いで、熟と紫玉を視て、「手を浄める水だもの。」 直接に吻を接るのは不作法だ、と咎めたように聞えたのである。 劇壇の女王は、気色した。「いやにお茶がってるよ、生意気な。」と、軽くその頭を掌で叩き放しに、衝と広前を・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・るのだろうが、一つには紋切型に頼っても平気だという彼等の鈍重な神経のせいであって、われわれが聴くに堪えぬエスプリのない科白を書いても結構流行劇作家で通り、流行シナリオ・ライターで通っているという日本の劇壇、映画界の低俗さには、言うべき言葉も・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・三木は劇壇に、奇妙な勢力を持っていた。背後に、元老の鶴屋北水の頑強な支持もあって、その特異な作風が、劇壇の人たちに敬遠にちかいほどの畏怖の情を以て見られていた。さちよの職場は、すぐにきまった。鴎座である。そのころの鴎座は、素晴しかった。日本・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・と同時に、一方においては、徳川幕府の圧迫を脱した江戸芸術の残りの花が、目覚しくも一時に二度目の春を見せた時代である。劇壇において芝翫、彦三郎、田之助の名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥、魯文、柳北の如き才人が現れ、画界には暁斎や芳年の名が轟き・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 劇壇の人々は、戦争の間、どんな暮しをして来たのだろうか。「プラーグの栗並木の下で」を観ていて痛切に心に浮んだのはこの問いであった。戦争御用の芝居をもってあっちこっち打ってまわらなければならなかったろう。三浦環まで満州へ慰問に行かなけれ・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
出典:青空文庫