・・・ 果てもない広い森林と原野の間に自在に横行していたものが、ちょっとした身動きすら自由でない窮屈なこういう境遇に置かれて、そして、いくら気の長い、寿命の長い象にしても、十年以上もこうして縛られているのでは、そうそういい目つきばかりもしてい・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・の茫漠たる原野以外の地球の顔を見たことのないスラヴの民には「田ごとの月」の深甚な意義がわかろうはずはないのである。日本人をロシア人と同じ人間と考えようとする一部の思想家たちの非科学的な根本的錯誤の一つをここにも見ることができるであろう。・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・桜さく三味線の国は同じ専制国でありながら支那や土耳古のように金と力がない故万代不易の宏大なる建築も出来ず、荒凉たる沙漠や原野がないために、孔子、釈迦、基督などの考え出したような宗教も哲学もなく、また同じ暖い海はありながらどういう訳か希臘のよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 初夏の若葉こそ曇り日に照っているが、駅の黒い柵の裏から直ぐ荒漠とした原野が連っている物音もせぬ小駅が白岡であった。ひっそり砂利を敷きつめた野天に立つ告知板の黒文字 しらおか 寂しい駅前の光景が柔かく私の心を押した。「白岡ですよ」・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・茫漠たる原野に、一粒ずつの金剛砂を求めて行くような労力と、収穫の著しい差異も、覚悟しています。けれども、ほんとにけれども、たといそれがどんなにささやかなものであり、目立たぬものであっても、 真理は真理なりという効益あるに非ずやと・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
荒漠たる原野――殊に白雪におおわれて無声の呪われた様な高原に次第次第に迫って来る夜はまことに恐ろしいほど厳然とした態度をもって居る。 灰色と白色との合するところに細く立木が並んで居るほか植物は影さえもなく町に通わなけれ・・・ 宮本百合子 「どんづまり」
・・・丁度、月の光りに浸された原野の真上のところに、二流れ黒雲があった。細く長く、相対して二頭の龍が横わっている通りだ。左手の黒龍の腹の下に一点曇りなき月が浮かんでいる。やや小ぶりな右手の龍が、顎をひらき、その月を欲して咬み合う勢を示した。左手の・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ こうして、ナポレオンは彼の大軍を、いよいよフリードランドの大原野の中へ進軍させた。六 ナポレオンの腹の上では、今や田虫の版図は径六寸を越して拡っていた。その圭角をなくした円やかな地図の輪郭は、長閑な雲のように微妙な線を・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫