・・・テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大に参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにする・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・死したる自然は古今来を通じて同一である。活動せる人間精神の発現は版行で押したようには行かぬ。過去の文学は未来の文学を生む。生まれたものは同じ訳には行かぬ。同じ訳に行かぬものを、同じ法則で品隲せんとするのは舟を刻んで剣を求むるの類である。過去・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・論より証拠、世界古今に其例なきを如何せん。若し万一も例外の事実ありとすれば、自から之に伴う例外の原因なきを得ず。人に教うるに常情以外の難きを以てす、教育家の事に非ざるなり。元来尊敬は外にして親愛は内なり。内に親愛の至情なきも外面に尊敬の礼を・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
学者安心論 店子いわく、向長屋の家主は大量なれども、我が大家の如きは古今無類の不通ものなりと。区長いわく、隣村の小前はいずれも従順なれども、我が区内の者はとかくに心得方よろしからず、と。主人は以前の婢僕を誉め、・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹のかきゅうに陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事俗事を捕え来りて縦横に馳駆するところ、かえって高雅蒼老些の俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆をし・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・子供たちによく古今の大家の絵を模写してやった。そのような環境の間で十四歳になったとき、ケーテに、初めて石膏について素描することを教えたのが、ほかならぬシュミットの仕事場に働いていた一人の物わかりのいい銅版職人であったという事実は、私たちに深・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・隴西の李白、襄陽の杜甫が出て、天下の能事を尽した後に太原の白居易が踵いで起って、古今の人情を曲尽し、長恨歌や琵琶行は戸ごとに誦んぜられた。白居易の亡くなった宣宗の大中元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧で、白居易は勿論、それと・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・ 人に見られて、物思いに沈んでいることを悟られまいと思って、それから忍藻は手近にある古今集を取っていい加減なところを開き、それへ向って字をば読まずに、いよいよ胸の中に物思いの虫をやしなった。「『題知らず……躬恒……貫之……つかわしけ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ この古今未曾有の荘厳な大歓迎は、それは丁度、コルシカの平民ナポレオン・ボナパルトの腹の田虫を見た一少女、ハプスブルグの娘、ルイザのその両眼を眩惑せしめんとしている必死の戯れのようであった。 こうして、ナポレオンは彼の大軍を、いよい・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・足を手と同じように使う点においては彼は古今独歩である。しかしその名声を慕ってその門に入る人があればそれはばかだ。この足の天才はただ一人寂しい道を歩ませておけばよい。デュウゼは足で画くラファエロである。 露都の一夜、なつかしきエレオノラの・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫