・・・鉄砲や、青竜刀や、朱の総のついた長い槍やが、重吉の周囲を取り囲んだ。「やい。チャンチャン坊主奴!」 重吉は夢中で怒鳴った、そして門の閂に双手をかけ、総身の力を入れて引きぬいた。門の扉は左右に開き、喚声をあげて突撃して来る味方の兵士が・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ 水夫達は、死体の周囲に黙って立っていた。そして時々、耳から耳へ、何か囁かれた。 コーターマスターは、ボースンの耳へ口をつけた。「死んだのかい」「死んだらしい」「どうしたんだい」「やけに呷ったらしいんだ」「フーム・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・其気で……ええかね。』と、赤さんを抱いてお居での方は袖に顔を押当てお了いでした。 涙を拭いたのは、其方の良人の兵士さんと私ばかりではありません。其周囲に居合せた人で、一人だッて涙を浮べない者はありませんでした。『……兄さん、何様事が・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるるの勢は、これを留めんとして駐むべからず。いかなる独主独行の士人といえども、この間にひとりするを得ざるは、伝染病の地方にいて、ひとりこれを免かるる・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別に芸術家の手を煩わして図案をさせたものである。書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれが望からまた自然が湧く。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ されば曙覧が歌の材料として取り来るものは多く自己周囲の活人事活風光にして、題を設けて詠みし腐れ花、腐れ月に非ず。こは『志濃夫廼舎歌集』を見る者のまず感ずるところなるべし。彼は自己の貧苦を詠めり、彼は自己の主義を詠めり。亡き親を想いては・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ こういう文章のたちと、こういうテーマの扱い方の小説は、今日めいめいの青春を生きている読者たちにとって、『白樺』の頃武者小路氏の文学が周囲につたえた新しい脈動とはおのずから性質の違った親愛、わかりよさに通じるようなものとして受けいれられ・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
・・・老人が役所を出ずるや、人々はその周囲を取り囲んでおもしろ半分、嘲弄半分、まじめ半分で事の成り行きを尋ねた。しかしたれもかれのために怒ってくれるものはなかった。そこでかれは糸の一条を語りはじめた。たれも信ずるものがない、みんな笑った。かれは道・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・嫡子光尚の周囲にいる少壮者どもから見れば、自分の任用している老成人らは、もういなくてよいのである。邪魔にもなるのである。自分は彼らを生きながらえさせて、自分にしたと同じ奉公を光尚にさせたいと思うが、その奉公を光尚にするものは、もう幾人も出来・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫