・・・我々の神はこの嘆きを憐れみ、雌の河童の脳髄を取り、雄の河童を造りました。我々の神はこの二匹の河童に『食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ』という祝福を与えました。……」 僕は長老の言葉のうちに詩人のトックを思い出しました。詩人のトックは不幸に・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 永久なる眠りも冷酷なる静かさも、なおこのままわが目にとどめ置くことができるならば、千重の嘆きに幾分の慰藉はあるわけなれど、残酷にして浅薄な人間は、それらの希望に何の工夫を費さない。 どんなに深く愛する人でも、どんなに重く敬する人で・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・僕とて民子の死と聞いて、失神するほどの思いであれど、今目の前で母の嘆きの一通りならぬを見ては、泣くにも泣かれず、僕がおろおろしている所へ兄夫婦が出てきた。「お母さん、まアそう泣いたって仕方がない」 と云えば母は、かまわずに泣かしてお・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「ついてはご自身で返事書きたき由仰せられ候まま御枕もとへ筆墨の用意いたし候ところ永々のご病気ゆえ気のみはあせりたまえどもお手が利き候わず情けなき事よと御嘆きありせめては代筆せよと仰せられ候間お言葉どおりを一々に書き取り申し候 必・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・倉皇として奔命し、迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の愍みの愛のために哭きつつ一生を生きるのである。「日蓮は涙流さぬ日はなし」と彼はいった。 日蓮は日本の高僧中最も日本的性格を持ったそれである。彼において・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
天の原かかれる月の輪にこめて別れし人を嘆きもぞする 私たちがこの人生に生きていろいろな人々に触れあうとき、ある人々はその感情の質が大変深くてかつ潤うているのに出会うものである。そして経験によるとこの種の人々は・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・隣室の夫も、ねむられない様子で、溜息が聞え、私も思わず溜息をつき、また、あのおさんの、 女房のふところには 鬼が棲むか あああ 蛇が棲むか とかいう嘆きの歌が思い出され、夫が起きて私の部屋へやって来て、私はからだを固くし・・・ 太宰治 「おさん」
・・・と、地団駄踏んで、その遺言書に記してあったようだが、私も、いまは、その痛切な嘆きには一も二も無く共鳴したい。たかが熊本君ごときに、酒を飲む人の話は、信用できませんからね、と憫笑を以て言われても、私には、すぐに撥ね返す言葉が無い。冷水摩擦を毎・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・狐には穴あり、鳥には巣あり、されど人の子には枕するところ無し、とはまた、自由思想家の嘆きといっていいだろう。一日も安住を許されない。その主張は、日々にあらたに、また日にあらたでなければならぬ。日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたっ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・私の嘆きを真面目に答えたつもりなのでした。 質問は、あまりありませんでした。仕方が無いから、私は独白の調子でいろいろ言いました。ありがとう、すみません、等の挨拶の言葉を、なぜ人は言わなければならないか。それを感じた時、人は、必ずそれを言・・・ 太宰治 「みみずく通信」
出典:青空文庫