・・・ 若崎は話しの流れ方の勢で何だか自分が自分を弁護しなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神に執念く取憑かれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸を嘗めた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止まる・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・「馬鹿あ吐かせ、三銭の恨で執念をひく亡者の女房じゃあ汝だってちと役不足だろうじゃあ無えか、ハハハハ。「そうさネエ、まあ朝酒は呑ましてやられないネ。「ハハハ、いいことを云やあがる、そう云わずとも恩には被らあナ。「何をエ。「・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・蛇のほうはやはり受動的であって、こっちから追っかけて行って飽くまで勝負を迫るほどの執念はなさそうである。 このような大蛇と虎の闘争が実際にしばしばジャングルの中で自然的に行なわれるか、どうか、少し疑わしく思われる。自然界に闘争の行なわれ・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・家扶家従、部屋付き女中、料理人、せんたく女と順々にこれが伝わって行って、最後にはいよいよ引き上げて行くモーリスに、執念く追い迫るスキャンダルの悪魔のささやきのようなささやき声の「ナッシンバッタテーラ」が繰り返される。これはかなり印象的である・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・それにあの執念な追窮しざまはどうだ。死骸の引取り、会葬者の数にも干渉する。秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してしまいたかったであろう。否、幸徳らの躰を殺して無政府主義を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・猶も執念くつきまとう。終に、男は実に断然たる口調で、「厭だと云ったらいやです」と云いさま、手を振もぎって、殆ど馳るように、階子段とは逆の方に歩き出した。 赤い着物を着た娘は、血相をかえて後を追い出した。追われると心付いて、男は洋・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・ 持ちたい、見たい、語り度い、という執念からは解脱したく、またすべきであると思わずにはいられません。 現在の、或る時には非常に原始的な愛の爆発を持つ心の状態のままで、不意に、思いもかけず、自分の手から愛する者を奪われたらどうなるでし・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ 地球を七巻き巻くとかいう云いかたも執念めいた響きを添える。七巻きとか七巻き半とかいう表現は、仏教の七生までも云々という言葉とともに、あることがらを自分の目前から追い払ってもまだそれはおしまいになったわけではないぞよ、という脅嚇を含んで・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・妙なことに拘わって、忍耐強い性格のまま執念くやられると、私は憎しみさえ感じた。そして、怒った。怒りながら、私は祖母のために、編ものをした。細かい身の廻りのことにおのずから気がついた。「いやなお祖母様。この装でお出かけになる積り? 駄目!・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・見てくれ、折角荒々しいような執念いような、気味悪い俺の相好も、半時彼方で香の煙をかいで来ると、すっかりふやけて間のびがして仕舞った。どうだ、少しは俺らしくなったか?ヴィンダー上帝の奴、手に負えない狡猾者だ。俺達やカラは、地体ああ云ういや・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫