・・・ 壊された壁の下から鍬を引っぱり出して、彼は、親爺の墓穴を掘りに行った。 村中の家々は、目ぼしい金目になるようなものを掠奪せられ、たたきつぶされていた。餌がなくて飢えた家畜は、そこら中で悲しげにほえていた。「父うちゃんこんなとこ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・村民は老いて墓穴に入るまで、がつ/\鍬を手にして働かねばならなかった。それよりは都会へ行って、ラクに米の飯を食って暮す方がどれだけいゝかしれない。 両人は、田舎に執着を持っていなかった。使い慣れた古道具や、襤褸や、貯えてあった薪などを、・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・氷の雨塚とは太古のいまだ開けざる頃の人の住家もしくは墓穴のたぐいを、むかし氷の雨降りたる時人々の隠れたりしところならんと後のものの思いしより呼びならわせし名にやあるべき、詳くは考うべき由なし。大淵、小柱、金崎、皆野、久那、寺尾等秩父郡の村々・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・晩の御馳走は、蛙の焼串、小さい子供の指を詰めた蝮の皮、天狗茸と二十日鼠のしめった鼻と青虫の五臓とで作ったサラダ、飲み物は、沼の女の作った青みどろのお酒と、墓穴から出来る硝酸酒とでした。錆びた釘と教会の窓ガラスとが食後のお菓子でした。王子は、・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・次に墓場が出る。墓穴のそばに突きさした鋤の柄にからすが止まると墓掘りが憎さげにそれを追う。そこへ僧侶に連れられてたった三人のさびしい葬式の一行が来る。このところにあまり新しくはないがちょっとした俳句の趣がある。 アンナ・ステンのナナが酒・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・こういう墓穴のような世界で難行苦行の六日を過ごした後に出て見た尾張町の夜の灯は世にも美しく見えないわけに行かなかったであろう。今日いわゆるギンブラをする人々の心はさまざまであろうが、そういう人々の中の多くの人の心持ちには、やはり三十年前の自・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・「私は自分で自ら墓穴を掘りつつあるような気がします」「今でも検事に述べたことについては覆せる気持はありますが、何しろ相川判事に調書をとられたのが一番なやみの種です」 相ついで発表され、しかも正反対の内容をもつ竹内被告の二つの手記のよびお・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄い赭土をぼろぼろと穴の中に翻すのを見て、地下の客がいかにも軟な暖な感を作すであろうと思ったことがある。鴎外の墓穴には沙礫乱下したのを見る外、ほとんど軟い土を投じたのを見なかった・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫