・・・ 二十五年前には外山博士が大批評家であって、博士の漢字破りの大演説が樗牛のニーチェ論よりは全国に鳴響いた。博士は又大詩人であって『死地に乗入る六百騎』というような韻文が当時の青年の血を湧かした。 二十五年前には琴や三味線の外には音楽・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかっ・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしながら、よく学長室に出入せられるのを見た。法文の教室は下だけで、間に合うていたのである。当時の選科生というものは、誠にみじめなものであった。無論、学校・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ 被告外山勝将、もと運転手、同分会執行委員「被告に対してもあらゆる方法をもっておどかし、例えば町のゴロツキの如くお前は検察庁に喧嘩をうるつもりか。それなら俺たちはお前を法律で必ず殺してみせると暴言をはいておどかし、最後には、もしお前たち・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・しばらくして雑木林よりはよほど高い、外山の頂とも言うべき所に来た。 安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦を経て由良の港に注ぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかり隔った川向いに、こんもりと茂った木立ちの中から、塔の尖の見え・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫