・・・現に僕は夜学の帰りに元町通りを歩きながら、お竹倉の藪の向こうの莫迦囃しを聞いたのを覚えている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百年来の狸の莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ と半分目を眠って、盲目がするように、白眼で首を据えて、天井を恐ろしげに視めながら、「ものはあるげにござりまして……旧藩頃の先主人が、夜学の端に承わります。昔その唐の都の大道を、一時、その何でござりまして、怪しげな道人が、髪を捌いて・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 大通へ抜ける暗がりで、甘く、且つ香しく、皓歯でこなしたのを、口移し…… 九 宗吉が夜学から、徒士町のとある裏の、空瓶屋と襤褸屋の間の、貧しい下宿屋へ帰ると、引傾いだ濡縁づきの六畳から、男が一人摺違いに出て行・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 彼はかく労働している間、その宿所は木賃宿、夜は神田の夜学校に行って、もっぱら数学を学んでいたのである。 日清の間が切迫してくるや、彼はすぐと新聞売りになり、号外で意外の金を儲けた。 かくてその歳も暮れ、二十八年の春になって、彼・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知ってるかい? 知らねえだろう。おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。姉さん、何がおかしいんだ。何を、そんなに笑うん・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・日本大学の夜学に通っています。電気技師になるとのお話で、もう二年経てば、私はこのお友達のところへお嫁にまいります。夜に大学へ行き、朝には京王線の新築された小さい停車場の、助役さんの肩書で、べんとう持って出掛けます。この助役さんは貴方へ一週間・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・いまは、夜学の先生をしているそうだ。奥さんは、小さくて、おどおどして、そして下品だ。つまらないことにでも、顔を畳にくっつけるようにして、からだをくねらせて、笑いむせぶのだ。可笑しいことなんてあるものか。そうして大袈裟に笑い伏すのが、何か上品・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・という薄っぺらな本を夜学で教わった。その夜学というのが当時盛んであった政社の一つであったので、時々そういう社の示威運動のようなものが行なわれ、おおぜいで提灯をつけて夜の町を駆けまわり、また時々は南磧で繩奪い旗奪いの競技が行なわれた。ある時は・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・鉄道病院の模範看護婦で、日本大学の夜学で勉強したことがある――。「そこであんまりとんちんかんな社会学の講義をきかされたんで、妙だ、妙だと思ったのがこっちへ来る始りなのよ」 可笑しそうに笑いながら、「自分で働いてりゃ、馬鹿だってそ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・夕飯をたべてから弟は夜学に行った。その仕度を彼女はおくらせてはならない。―― もう永年のつき合いで、だが顔を見、やあというだけで気がくつろぐというのではないから、はる子は時に千鶴子の訪問から気ぜわしさだけをアフタア・イメイジとして受けた・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
出典:青空文庫