・・・人気のない夜更けの大根河岸には雪のつもった枯れ柳が一株、黒ぐろと澱んだ掘割りの水へ枝を垂らしているばかりだった。「日本だね、とにかくこう云う景色は。」 彼は僕と別れる前にしみじみこんなことを言ったものだった。 ・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋があって、明く瓦斯の燃えた下に、大根、人参、漬け菜、葱、小蕪、慈姑、牛蒡、八つ頭、小松菜、独活、蓮根、里芋、林檎、蜜柑の類が堆く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・枝に渡して、ほした大根のかけ紐に青貝ほどの小朝顔が縋って咲いて、つるの下に朝霜の焚火の残ったような鶏頭が幽に燃えている。その陽だまりは、山霊に心あって、一封のもみじの音信を投げた、玉章のように見えた。 里はもみじにまだ早い。 露地が・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・その掛茶屋は、松と薄で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の汀になっていて、緋鯉の影、真鯉の姿も小波の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋辷るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに留めて憩ったのである・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 若狭鰈――大すきですが、それが附木のように凍っています――白子魚乾、切干大根の酢、椀はまた白子魚乾に、とろろ昆布の吸もの――しかし、何となく可懐くって涙ぐまるるようでした、なぜですか。…… 酒も呼んだが酔いません。むかしの事を考え・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。 し・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
くりの木のこずえに残った一ひらの葉が、北の海を見ながら、さびしい歌をうたっていました。 おきぬは、四つになる長吉をつれて、山の畑へ大根を抜きにまいりました。やがて、冬がくるのです。白髪のおばあさんが、糸をつむいでいるように、空では・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・じているから、例えば映画でも、息も絶え絶えの状態にしては余りに声も大きく、言葉も明瞭に、断末魔の科白をいやという程喋ったあげく、大写しの中で死んで行く主演俳優の死の姿よりも、大部屋連中が扮した、まるで大根でも斬るように斬られて、ころりと転が・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ と、お加代はしかし大根役者ではなかった。「親切が仇に……? なんぜや……?」 豹吉はききかけて、よした。 他人の意見なぞ、どうでもよい。自分の考えだけを押し通せばいいのだ。頼りになるのは、結局自分自身だけだ――というの・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・お団子だとか大根の刻んだのだとかは妻が用意してきてあった。それから後に残った人たちだけ最初の席に返って、今度は百カ日の供養のお経を読んでもらった。それからまた、ちょうどパラパラ落ちてきた雨の中を、墓まで往復した。これで百カ日の法事まですっか・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫