・・・たしか大野鉄平の自害の場の幕がしまった後だったと思いますが、彼は突然私の方をふり向くと、『君は彼等に同情が出来るか。』と、真面目な顔をして問いかけました。私は元よりの洋行帰りの一人として、すべて旧弊じみたものが大嫌いだった頃ですから、『いや・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 眼がさめると、階下に大野さんが来ている。起きて顔を洗って、大野さんの所へ行って、骨相学の話を少しした。骨相学の起源は動物学の起源と関係があると云うような事を聞いている中にアリストテレスがどうとかと云うむずかしい話になったから、話の方は・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・ ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した落葉松が所々に腕だるそうにそびえて、その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・言にいでて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり思ふこと心やりかね出で来れば山をも川をも知らで来にけり冬ごもり春の大野を焼く人は焼きたらぬかもわが心焼くかくのみにありけるものを猪名川の奥を深めて吾が念へりける・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・それから、稲垣、大野、川本、坂田、みなそれぞれ二三分間おくれて、別の扉を叩くのであった。「今晩は。」 そして、相手がこちらの手を握りかえす、そのかえしようと、眼に注意を集中しているのであった。 彼等のうちのある者は、相手が自分の・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行った。そのとき数え年の四歳であったはずだから、ほとんど何事も記憶らしい記憶は残っていないのであるが、しかし自分の幼時・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・膳に向かえば大野味噌汁。秋琴楼に仮寓の昔も思い出さしむ。勘定をすませ丸く肥え太りたる脊低き女に革鞄提げさして停車場へ行く様、痩馬と牝豚の道行とも見るべしと可笑し。この豚存外に心利きたる奴にて甲斐々々しく何かと世話しくれたり。間もなく駆け来る・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・この見はるかす何十町という田圃や畑の地主は、その山荘庵の丘の上の屋敷に住んでいる大野という人であった。 善ニョムさん達は、この「大野さん」を成り上り者と蔭口云うように、この山荘庵の主人はわずか十四五年のうちに、この村中を買占めてしまった・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・一日島田はかつて爾汝の友であった唖々子とわたしとを新橋の一旗亭に招き、俳人にして集書家なる洒竹大野氏をわれわれに紹介した。その時島田と大野氏とは北品川に住んでいる渋江氏が子孫の家には、なお珍書の存している事を語り、日を期してわたしにも同行を・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ 新魚町の大野豊の家に二人の客が落ち合った。一人は裁判所長の戸川という胡麻塩頭の男である。一人は富田という市病院長で、東京大学を卒業してから、この土地へ来て洋行の費用を貯えているのである。費用も大概出来たので、近いうちに北川という若い医・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫