・・・しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を喜ぶと同時に、彼ら十二名も殺したくはなかった。生かしておきたかった。彼らは乱臣賊子の名をうけても、ただの賊ではない、志士である。ただの賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為の志士で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・しかし先生はこの薄暗く湿った家をば、それがためにかえってなつかしく、如何にも浮世に遠く失敗した人の隠家らしい心持ちをさせる事を喜んでいる。石菖の水鉢を置いた子窓の下には朱の溜塗の鏡台がある。芸者が弘めをする時の手拭の包紙で腰張した壁の上には・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・今の一部の小説が人に嫌われるは、自然主義そのものの欠点でなく取扱う同派の文学者の失敗で、畢竟過去の極端なるローマン主義の反動であります。反動は正動よりも常規を逸する。故にわれわれは反動として多少この間の消息を諒とせねばならぬ。 さて自然・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・たしかに出さなかったことは監獄の失敗だった。そのために、あんなに騒がれても、どうもよくしないんだ。 やがて医者が来た。 監房の扉を開けた。私は飛び出してやろうかと考えたが止めた。足が工合が悪いんだ。 医者は、私の監房に腰を下した・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・いよ/\厳重にして之を守ることいよ/\窮窟なる其割合に、内実親愛の情はいよ/\冷却して内寒外温、遂に水臭き間柄となるは自然の勢にして、畢竟するに舅姑と嫁と、親子にも非ざる者を親子の如くならしめんとして失敗するものと言うの外なし。世間に其例甚・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・併し、私が苦心をした結果、出来損ったという心持を呑み込んで、此処が失敗していると指摘した者はなく、また、此処は何の位まで成功したと見て呉れた者もなかった。だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、譏られても見当違いだから、何の・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮るところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も棄てて顧みず、卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず。 芭蕉の句はことごとく簡単なり。強・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞと・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・半官的なギャラップ博士の米国世論調査所の示したこのたびの失敗は、世界の世論調査法に大きい教訓となった。ギャラップの世論調査所員の大多数は女子で、アンケートの送りさきは彼女たちの任意とされていた。彼女たちが労働者や下層民をさけたために、民主党・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・その癖又それを得れば成功で、失えば失敗だというような処までは追求しなかったのである。 しかしこの或物が父に無いということだけは、花房も疾くに気が付いて、初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫