・・・ 半三郎の失踪も彼の復活と同じように評判になったのは勿論である。しかし常子、マネエジャア、同僚、山井博士、「順天時報」の主筆等はいずれも彼の失踪を発狂のためと解釈した。もっとも発狂のためと解釈するのは馬の脚のためと解釈するのよりも容易だ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・私の妻は、昨日突然失踪したぎり、未にどうなったかわかりません。私は危みます。妻は世間の圧迫に耐え兼ねて、自殺したのではございますまいか。 世間はついに、無辜の人を殺しました。そうして閣下自身も、その悪む可き幇助者の一人になられたのでござ・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・けをまたずにお定は息を引き取ったが、死ぬ前の日はさすがに叱言はいわず、ただ一言お光を可愛がってやと思いがけぬしんみりした声で言って、あとグウグウ鼾をかいて眠り、翌る朝眼をさましたときはもう臨終だった。失踪した椙のことをついに一言もいわなかっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・立ち話でだんだんに訊けば、蝶子の失踪はすぐに抱主から知らせがあり、どこにどうしていることやら、悪い男にそそのかされて売り飛ばされたのと違うやろか、生きとってくれてるんやろかと心配で夜も眠れなんだという。悪い男云々を聴き咎めて蝶子は、何はとも・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ ある日ドリスが失踪した。暇乞もせずに、こっそりいなくなった。焼餅喧嘩に懲りたのである。ポルジイは独り残って、二つの学科を修行した。溜息の音楽を奏して、日を数える算術をしたのである。 こう云うわけで、二つの出来事が落ち合った。小さい・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・「モナリザの失踪」という映画に、ヒーローの寝ころんで「ナポレオンのイタリア侵入」を読んでいる横顔へ、女がいたずらの光束を送るところがあったようである。 四 ドライヴ 身体の弱いものがいちばんはっきり自分の弱さを・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・第二編 凡児の勤めている会社がつぶれて社長が失踪したという記事の載った新聞を、電車の乗客があちらこちらで読んでいる。それが凡児の鼻の先に広げられているのに気がつかず、いつものようにのんきに出勤して見ると、事務室はがら明きで、ただ一人・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ すると受付の巡査はだまって帳面を五六枚繰っていましたが、「ああ失踪者の件だね、人事係のとこへ、その左の方の入口からはいって待っていたまえ。」と云いました。 失踪者の件というのは何のことだろう、決闘の件とでも云うならわかっている・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・若い娘の失踪六十一名。幼児誘拐も報ぜられている。天然痘、発疹チブスの危険も全市にひろがろうとしている。 これらすべての危期が、愛する日本を覆い、私たちの時々刻々を脅かしているのである。 四月十日の総選挙をめざして、各政党が、どう党費・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫