・・・昨夜私の隣に寝ていた夫婦者の女房だ。私の顔を見ると、「お早う。」と愛相よく挨拶しながら、上り口でちょっと隣の部屋の寝床を覗いて、「まだ寝てるよ。銭占屋の兄さん、もう九時だよ。」「九時でも十時でも、俺あ時間に借りはねえ。」と寝床の中で言っ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・不思議だとは思ったが、ただそれくらいのことに止まって、別に変った事も無かったので、格別気にも止めずに、やがて諸国の巡業を終えて、久振で東京に帰った、すると彼は間もなく、周旋する人があって、彼は芽出度く女房を娶った。ところが或日若夫婦二人揃で・・・ 小山内薫 「因果」
・・・あとできけば、浜子はもと南地の芸者だったのを、父が受けだした、というより浜子の方で打ちこんで入れ揚げたあげく、旦那にあいそづかしをされたその足で押しかけ女房に来たのが四年前で、男の子も生れて、その時三つ、新次というその子は青ばなを二筋垂らし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・何がさて空想で眩んでいた此方の眼にその泪が這入るものか、おれの心一ツで親女房に憂目を見するという事に其時はツイ気が付かなんだが、今となって漸う漸う眼が覚めた。 ええ、今更お復習しても始まらぬか。昔を今に成す由もないからな。 しかし彼・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・それで明日の朝女房が出てくるというんだが、とにかく引返してくれ」と、私は息を切らして言った。「おやじが死んだ……?」と、弟も声を呑んだ。「おやじが死んだからって、あれが出てくるってのも変な話だが、とにかくただ事じゃないね……」「・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・子供か女房かがいるのじゃないか。堪らない。と峻は思った。 握手が失敬になり、印度人の悪ふざけはますます性がわるくなった。見物はそのたびに笑った。そして手品がはじまった。 紐があったのは、切ってもつながっているという手品。金属の瓶があ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・したがり餅でもうけた金を塩の方で失くすという始末、俳諧の一つもやる風流気はありながら店にすわっていて塩焼く烟の見ゆるだけにすぐもうけの方に思い付くとはよくよくの事と親類縁者も今では意見する者なく、店は女房まかせ、これを助けて働く者はお絹お常・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 母は、女房に甘い虹吉を、いま/\しげに顔をしかめた。「そんなことを云うたって、お母あは、家が狭くなるほど荷物を持って来たというて嬉しがっとったくせに。」と、私は笑った。「ええい、荷物は荷物、仕事は仕事じゃ。仕事をせん不用ごろが・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・野暮でない、洒落切った税というもので、いやいや出す税や、督促を食った末に女房の帯を質屋へたたき込んで出す税とは訳が違う金なのだから、同じ税でも所得税なぞは、道成寺ではないが、かねに恨が数ござる、思えばこのかね恨めしやの税で、こっちの高慢税の・・・ 幸田露伴 「骨董」
夫が豊多摩刑務所に入ってから、七八ヵ月ほどして赤ん坊が生れた。それでお産の間だけお君はメリヤス工場を休まなければならなかった。工場では共産党に入っていた男の女房を一日も早く首にしたかったので、それがこの上もなくいゝ機会だっ・・・ 小林多喜二 「父帰る」
出典:青空文庫