・・・甲がAという異性の容貌に好悪いずれかの意味で特別な興味をもっているとする。しかし乙はAの顔になんらの興味をももっていないとする。そういう場合に、甲がBやCやDがAに似ていると云っても、乙が見るとちっとも似たところが見付からないであろう。・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。「味噌汁の実まで相談するかと思うと、妙なところへ干渉するよ」「へえ、やはり食物上にかね」「う・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・父母の懸念が道徳上の着色を帯びて、好悪の意味で、娘の夫に反射するようになったのはこの時からである。彼らは気の毒な長女を見るにつけて、これから嫁にやる次女の夫として、姉のそれと同型の道楽ものを想像するにたえなくなった。それで金はなくてもかまわ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ 好悪は人々の随意である。好悪より生ずる物品金銭の贈与もまた人々の随意である。英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・換言すれば感覚的なる自然と感覚的なる人間そのものの色合やら、線の配合やら、大小やら、比例やら、質の軟硬やら、光線の反射具合やら、彼らの有する音声やら、すべてこれらの感覚的なるものに対して趣味、すなわち好悪、すなわち情、を有しております。だか・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・従って製作品に対する情緒がこれにうつって行って、作物に対する好悪の念が作家にうつって行く。なおひろがって作家自身の好悪となり、結局道徳的の問題となる。それ故当然作物からのみ得られべき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・ 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪するところのものあるが如し。政治家の不注意と・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・また平生の衣食住についても、おのおの好悪する所なきを期すべからずといえども、互いに忍んでその好悪に従わざるべからず。またあるいは一方の病気の如き、固より他の一方に痛痒なけれども、あたかもその病苦を自分の身に引受くるが如くして、力のあらん限り・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・伸子は伸子なりに渦巻くそれらの現実に対し、あながち一身の好悪や利に立っていうのではない批判をもちはじめている。日本の社会が、あらゆる階層を通じてとくに婦人に重く苦しい現実を強いていることは、人生を愛す気質をもって生れている伸子を一九二七年の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・そして、虫は好かないけれど、演技は傑出しているというところを自分の好悪からはなして観るような芸術鑑賞のよろこびも、もっと女のゆたかな客観性としてもたれてもいいであろう。これまでの常識は主観的といえば身に近く熱っぽくあたたかいもの、客観性とい・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
出典:青空文庫