・・・然し、私には、如何にも強そうなその体格と、肩を怒らして大声に話す漢語交りの物云いとで、立派な大人のように思われた。「先生、何の御用で御座います。」「怪しからん、庭に狐が居る、乃公が弓を引いた響に、崖の熊笹の中から驚いて飛出した。あの・・・ 永井荷風 「狐」
・・・けれども先生の性質が如何にも淡泊で丁寧で、立派な英国風の紳士と極端なボヘミアニズムを合併したような特殊の人格を具えているのに敬服して教授上の苦情をいうものは一人もなかった。 先生の白襯衣を着た所は滅多に見る事が出来なかった。大抵は鼠色の・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・そしてそれが如何にもよく私の今日の心持を言い表しおるものだと痛く同感した。回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ と、漢語調の軍隊言葉で、如何にも日本軍人らしく、彼は勇ましい返事をした。そして先頭に進んで行き、敵の守備兵が固めている、玄武門に近づいて行った。彼の受けた命令は、その玄武門に火薬を装置し、爆発の点火をすることだった。だが彼の作業を終っ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・心騒しく眼恐しく云々、如何にも上流の人間にあるまじき事にして、必ずしも女の道に違うのみならず、男の道にも背くものなり。心気粗暴、眼光恐ろしく、動もすれば人に向て怒を発し、言語粗野にして能く罵り、人の上に立たんとして人を恨み又嫉み、自から誇り・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・だから、余り大口を利く訳には行かぬが、兎に角原詩よりも訳の方が、趣味も詩想もよく分る、原文では十遍読んでも分らぬのが、訳の方では一度で種々の美所が分って来る、しかも其のイムプレッションを考えて見ると、如何にもバイロン的だ。即ちこれを要するに・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・亡びる、二個所参れば二人喰い殺した罪が亡びるようにと、南無大師遍照金剛と吠えながら駈け廻った、八十七個所は落ちなく巡って今一個所という真際になって気のゆるんだ者か、そのお寺の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を・・・ 正岡子規 「犬」
・・・云ったのでなかったら、先生が生徒の親の店へ物の融通を云いつけるのはその社会で例のないことではないのだろうから、何も愧しい思いはないのだろうが、無いと云ったそのものが在る、しかもどっさり在るということは如何にも具合がわるかった。下級の先生は、・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・ ある晩波の荒れている海の上に、ちぎれちぎれの雲が横わっていて、その背後に日が沈み掛かっていた。如何にも壮大な、ベエトホオフェンの音楽のような景色である。それを見ようと思って、己は海水浴場に行く狭い道へ出掛けた。ふと槌の音が聞えた。その・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・投げた烟草の一点の火が輪をかいて飛んで行くのを見送る目には、この外の景色が這入った。如何にも退屈な景色である。腰懸の傍に置いてある、読みさしの、黄いろい表紙の小説も、やはり退屈な小説である。口の内で何かつぶやきながら、病気な弟がニッツアから・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫