・・・造詣の深さと創造の力とは誠に近世に双びない妙手であった。十二 終焉及び内外人の椿岳蒐集熱 椿岳は余り旅行しなかった。晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その有様を、ずるい、悪徳の芸術家が、一つあまさず見とどけて、的確の描写を為し、成功して写実の妙手と称えられた。さて、それから事件は、どうなったのでしょう。まず、原文を読んでみましょう。原文も、この辺から、調子が落ちて、決闘の場面の描写ほど、・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・京じゅう妙手として。皆まねをして。はなはだ流行せり。今に至りてはそれも見あきてすたりぬ。また江戸は奥州のかたへ属して。気質も京人のようにはなし。唐画にも。和画にも似ぬ風はのみ込まぬ事にて。わが自身工夫したりと言いては。それは法がないと言いて・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
出典:青空文庫