・・・ただ、漂浪の晩年をロンドンの孤客となって送っている、迫害と圧迫とを絶えずこうむったあのクロポトキンが温かき心をもってせよと教える心もちを思うと我知らず胸が迫ってきた。そうだ温かき心をもってするのは私たちの務めだ。 私たちはあくまで態度を・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・と小声で吟じ、さて、何の面白い事もなく、わが故土にいながらも天涯の孤客の如く、心は渺として空しく河上を徘徊するという間の抜けた有様であった。「いつまでもこのような惨めな暮しを続けていては、わが立派な祖先に対しても申しわけが無い。乃公もそ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・このへんを歩いている人たちの大部分は、西洋人でも日本人でも、男でも女でも、みんなたった今そこで生命の泉を飲んできたような明るい活気のある顔をしている中で、この老婦人だけがあたかも黄泉の国からの孤客のように見えるのであった。「どうかするんじゃ・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・少しはしたないような気はしたが、天涯の孤客だからと自分で自分に申し訳を云った。このローマの宿の一顆の柿の郷土的味覚はいまだに忘れ難いものの一つである。 味覚の追憶などはあまり品の好い話ではないようである。しかしそれだけに原始的本能的に深・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・て遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
出典:青空文庫