・・・ けれど、たとえば、宮内寒弥氏はかつて、次のように書いて居られた。「夫婦善哉は、何故か、評判がよくなかったが、大阪のああいう世界を描いた限り、私は傑作だと思った。唯、不幸にして描かれた男女の世界が、当代の風潮に反していたことと、それ・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・さいわい、山崎氏には、浅見、尾崎両氏の真の良友あり、両氏共に高潔俊爽の得難き大人物にして帷幕の陰より機に臨み変に応じて順義妥当の優策を授け、また傍に、宮内、佐伯両氏の新英惇徳の二人物あり、やさしく彼に助勢してくれている様でありますから、まず・・・ 太宰治 「砂子屋」
・・・ 万葉集の立派な写本は宮内府図書寮とかにあってお歌所の長である佐佐木信綱博士しか見られないものだったそうだ。マチスやユトリロの名画は、日ごろは特定の個人に秘蔵されていて、盗まれ横領にあった騒ぎではじめてわれわれ人民の耳目にふれて来る。旧・・・ 宮本百合子 「国宝」
・・・復員軍人がそれらの犯罪を犯すということについて輿論が高くなって、宮内次官は「世間の眼が復員軍人に対して冷た過ぎる」と、さながら人民に現在の社会悪の責任があるかのような口振りである。けれども、静かに思いめぐらした時、これらの復員軍人が秩序を紊・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫