・・・ と寂しい侘しい唄の声――雪も、小児が爺婆に化けました。――風も次第に、ごうごうと樹ながら山を揺りました。 店屋さえもう戸が閉る。……旅籠屋も門を閉しました。 家名も何も構わず、いまそこも閉めようとする一軒の旅籠屋へ駈込みました・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が無かったから――養子の話まで仄めかして見たのも高瀬だった。その高瀬が今度は塾の教員として、先生・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力が籠って、あたかも己れの家名でも名乗ったごとくに感ぜらるる。余は息を凝らして両人を注視する。女はなお説明をつづける。「この紋章を刻んだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・甚だしきは骨肉相争い、親戚陰に謀り、家名の相続、財産の分配等、争論百出、所謂御家騒動の大波瀾を生じて人に笑わるゝの事例さえなきに非ず。而して其不和争擾の衝に当る者は其時の未亡人即ち今日の内君にして、禍源は一男子の悪徳に由来すること明々白々な・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・わらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・祖母は、不良少年のようにしてしまった発端における自分の責任は理解出来ないたちの人であったから、やくざになった一彰さんばかりを家名ということで攻めたてた。親族会議だとか廃嫡だとか大騒ぎをした。そして、そのごたごたの間に母の実家は潰れた形になっ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・「女性なれば別して御賞美あり、三右衛門の家名相続被仰附、宛行十四人扶持被下置、追て相応の者婿養子可被仰附、又近日中奥御目見可被仰附」と云うのである。 十一日にりよは中奥目見に出て、「御紋附黒縮緬、紅裏真綿添、白羽二重一重」と菓子一折・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫