・・・書物は恐らく、細川家の家臣の一人が借してくれた三国誌の中の一冊であろう。 九人一つ座敷にいる中で、片岡源五右衛門は、今し方厠へ立った。早水藤左衛門は、下の間へ話しに行って、未にここへ帰らない。あとには、吉田忠左衛門、原惣右衛門、間瀬久太・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・大内義弘亡滅の後は堺は細川の家領になったが、其の怜悧で、機変を能く伺うところの、冷酷険峻の、飯綱使い魔法使いと恐れられた細川政元が、其の頼み切った家臣の安富元家を此処の南の荘の奉行にしたが、政元の威権と元家の名誉とを以てしても、何様もいざこ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷的な終末に「荒城の月」の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・すなわち徳川家の末路に、家臣の一部分が早く大事の去るを悟り、敵に向てかつて抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自から家を解きたるは、日本の経済において一時の利益を成したりといえども、数百千年養い得たる我日本武士の気風を傷うたるの不利は決して少々・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・作品の縦糸としては、細川忠利と家臣阿部彌一右衛門との間にある永年の感情的なしこりが、性格と性格との間に生じるさけがたい共感と反撥の姿として周密にとりあげられている。細川忠利は、初めは只なんとなく彌一右衛門の云うことをすらりときけない心持で暮・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ 正坐にかまえて都人の華奢な風を偲ばせて居るのは殿、その下坐に弟君、かかり人までこの宴にもれず、仮面もかぶらずにひかえて居る、それからは年の順、役の順に長年忠義劣りない家の子、家臣の一番上坐に、殿のみどり子の時からつかえて今に尚、この頃・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・松尾宗房と云い、伊賀国上野町の城代藤堂家の家臣で、少年から青年時代のはじまりはその城代の嫡子の近侍をしていた。既にその時代、俳諧は大流行していて若殿自身蝉吟という俳号をもって、談林派の俳人季吟の弟子であった。宗房もその相手をし早くから俳諧に・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長の妻になる人である。弟には忠利が三斎の三男に生まれたので、四男中務大輔立孝、五男刑部興孝、六男長岡式部寄之の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・内容は、武田信玄の家法、信玄一代記、家臣の言行録、山本勘助伝など雑多であるが、書名から連想せられやすい軍法のことは付録として取り扱われている程度で、大体は道徳訓である。この書がもしその標榜する通りに成立したものであるならば、『多胡辰敬家訓』・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫