・・・ 展望の北隅を支えている樫の並樹は、ある日は、その鋼鉄のような弾性で撓ない踊りながら、風を揺りおろして来た。容貌をかえた低地にはカサコソと枯葉が骸骨の踊りを鳴らした。 そんなとき蒼桐の影は今にも消されそうにも見えた。もう日向とは思え・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・その冷ややかな陰の水際に一人の丸く肥ッた少年が釣りを垂れて深い清い淵の水面を余念なく見ている、その少年を少し隔れて柳の株に腰かけて、一人の旅人、零落と疲労をその衣服と容貌に示し、夢みるごときまなざしをして少年をながめている。小川の水上の柳の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 或夜大友は二三の友と会食して酒のやや廻った時、斯ういう事を言ったことがある「僕の知っている女でお正さんというのがあるが、容貌は十人並で、ただ愛嬌のある女というに過ないけれど、如何にも柔和な、どちらかと言えば今少しはハキハキしてもと思わ・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ 彼の幼時の風貌を古伝記は、「容貌厳毅にして進退挺特」と書いている。利かぬ気の、がっしりした鬼童であったろう。そしてこの鬼童は幼時より学を好んだ。「予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・北村君の容貌の中で一番忘れられないのは、そのさもパッションに燃えているような、そして又考え深い眼であった。 明治年代に記憶すべき、大きな出来事の一つは、士族の階級の滅亡である。その階級が有てる凡てのものの滅びて行ったことである。その士族・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 眼鏡越しに是方を眺める青木の眼付の若々しさ、往時を可懐しがる布施の容貌に顕れた真実――いずれも原の身にとっては追懐の種であった。相川や、乙骨や、高瀬や、それから永田なぞと、よく往ったり来たりした時代は、最早遠く過去になったような気がす・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・それは、その博士の、容貌についてである。」たいしたことでもなかった。「物語には容貌が、重大である。容貌を語ることに依って、その主人公に肉体感を与え、また聞き手に、その近親の誰かの顔を思い出させ、物語全体に、インチメートな、ひとごとでない思い・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・この子は、容貌も端麗で、しかも学校がよく出来る。そうして、お父さんを心から尊敬している。 放送開始。 父は平然と煙草を吸いはじめる。しかし、火がすぐ消える。父は、それに気がつかず、さらにもう一度吸い、そのまま指の間にはさみ、自分の答・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・そこで目差す女が平凡な容貌でないことは、言うまでもない。女は女優である。遊んだり、人のおもちゃになったりしていずに、少し稽古でもしたら、立派な俳優になった女かも知れない。どうかして舞台で旨い事をしたのを、劇評家が見て、あれは好く導いて発展さ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 年のころ三十七、八、猫背で、獅子鼻で、反歯で、色が浅黒くッて、頬髯が煩さそうに顔の半面を蔽って、ちょっと見ると恐ろしい容貌、若い女などは昼間出逢っても気味悪く思うほどだが、それにも似合わず、眼には柔和なやさしいところがあって、絶えず何・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫