かんせいいがくのきん【寛政異学の禁】
寛政の改革の一政策。寛政2年(1790)幕府の学問所である昌平黌 (しょうへいこう) で朱子学以外の学問を禁じ、官吏登用は朱子学を学んだ者のみとした。
かんせいのかいかく【寛政の改革】
天明7年(1787)から寛政5年(1793)にかけて、老中松平定信が行った幕政改革。享保の改革を理想として、倹約、備荒貯蓄の奨励、棄捐 (きえん) 令、人返し、異学の禁などの政策を遂行したが、景気が沈滞し、町人らの不満を買った。
かんせいのさんきじん【寛政の三奇人】
寛政期、尊王・外交の問題に強い関心を示したあまり、奇行もあったという、林子平・高山彦九郎・蒲生君平 (がもうくんぺい) の三人をさす。
かんせいのさんすけ【寛政の三助】
寛政期、代表的な朱子学者として古賀弥助 (こがやすけ) (精里)・尾藤良佐 (びとうりょうすけ) (二洲)・柴野彦輔 (しばのひこすけ) (栗山)の三人をさす。古賀のかわりに岡田清助(寒泉)をさすこともある。寛政の三博士。
かんせいのさんちゅうしん【寛政の三忠臣】
江戸時代、寛政の改革に功労のあった三人の幕臣。老中の松平定信、若年寄の本多忠籌 (ほんだただかず) 、御側御用取次の加納久周 (かのうひさちか) 。
かんせいのさんはかせ【寛政の三博士】
⇒寛政の三助 (さんすけ)
かんせいれき【寛政暦】
江戸時代、宝暦暦に代えて寛政10年(1798)から採用された太陰太陽暦。高橋至時 (たかはしよしとき) らが編成したもので、天保13年(1842)まで45年間使用された。寛政戊午暦 (ぼごれき) 。