・・・通りの片側には八百屋物を載せた小車が並んでいます。売り子は多くばあさんで黒い頬冠り黒い肩掛けをしています。市庁の前で馬車を降りてノートルダームまで渦巻の風の中を泳いで行きました。どこでも名高いお寺といえばみんな一ぺん煤でいぶしていぶし上げて・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・されど ときには 指もたゆく心もなえて 足もとを見るあわれ わが井戸の 小車いつも いつも くるめくと。くるめく 井戸の小車天をうつす 底ひの 水滾々と湧き満ち ささやかになり われを待つ。 ・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ なほ子は、すっかり道具をしまった小車を引いて彼等がそこを立ち去るまで見ていた。「あんなにやって、いくら位貰ったのかしら……一円ぐらい?」 詮吉は座敷の長火鉢の前に中腰になったきり、「さあ、この辺じゃ一円は出すまい、よくて五・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫