・・・低く円るく刈り込まれた松の木が、青々とした綺麗な芝生の上に何本も植えられていて、その間の小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気そうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しなが・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・中棚鉱泉の附近は例の別荘へ通う隠れた小径から対岸の村落まで先生の近作に入っていた。その年に成るまで真実に落着く場所も見当らなかったような先生の一生は、漢詩風の詞で、その中に言い表してあった。 その晩、高瀬は隣の屋敷の方へ行って、一時借り・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・池と花園との間の細い小径へ出ると、「かくれみの」の樹の葉が活々と茂り合っていて、草の上に落ちた影は殊に深い緑色に見えた。日に萎れたような薔薇の息は風に送られて匂って来る。それを嗅ぐと、急に原は金沢の空を思出した。畠を作ったり、鶏を飼ったりし・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 今自分は、その蛇が皿を巻いたような丘の小道をぐるぐると下りて行く。一曲りずつ下りるにつれて、女の歌っているのがおいおいに鮮かに聞き取れる。「ねんねしなされ、おやすみなされ。鶏がないたら起きなされ」と歌う。艶やかな声である。「お・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・われは池畔の熊笹のうえに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、両脚をながながと前方になげだした。小径をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがっている。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐったげに畳んでいた。・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。 三年、と一口にいっても、――胸が一・・・ 太宰治 「満願」
・・・三 この男はどこから来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹に連なっている小径――その向こうをだらだらと下った丘陵の・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径を、あてもなく彷徨い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。 二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸の中に行き交う想いは、ヴァイオリンの音になって、高く低く聞こえている。その音は、・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・ 向こうの小道をまれに百姓が通ったが、わざわざ自分の所までのぞきに来る人は一人もなかった。 どれだけ時間が経過したかまるでわからなかった。ただ律儀な太陽は私にかまわずだんだんに低くたれ下がって行って景色の変化があまりに急激になって来・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・たちまちせきをきったように、人々が流れだしてくると、三吉はいそいで坂の中途から小径をのぼって、城内の練兵場の一部になった小公園へきた。それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫