・・・はないから、随分切詰めた懐でもって、物価の高くない地方、贅沢気味のない宿屋を渡りあるいて、また機会や因縁があれば、客を愛する豪家や心置ない山寺なぞをも手頼って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州の或辺僻の山中へ入ってしまった。先生極真面目な男な・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・おそろしくして駄洒落もなく七戸に腰折れてやどりけるに、行燈の油は山中なるに魚油にやあらむ臭かりける。ことさら雨ふりいでて、秋の夜の旅のあわれもいやまさりければ、さらぬだに物思う秋の夜を長み いねがてに聞く雨の音かな・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・海上の船から山中の庵へ米苞が連続して空中を飛んで行ってしまったり、紫宸殿を御手製地震でゆらゆらとさせて月卿雲客を驚かしたりなんどしたというのは活動写真映画として実に面白いが、元亨釈書などに出て来る景気の好い訳は、大衆文芸ではない大衆宗教で、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・飛騨の山中でお父さんの読んだ歌には、なかなか好いのが有りますぜ。短い言葉で、不器用な言い廻しで、それでもお父さんの旅の悲しみなどがよく出ていますよ。姉さんにもああいうことがあったら、そんなに苦しまずにも済むだろうかと思うんですが」「俺は・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・イマハ山中、イマハ浜、イマハ鉄橋、ワタルゾト思ウ間モナクトンネルノ、闇ヲトオッテ広野ハラ、どんどん過ぎて、ああ、過ぎて行く。私は呆然と窓外の飛んで飛び去る風景を迎送している。指で窓ガラスに、人の横顔を落書して、やがて拭き消す。日が暮れて、車・・・ 太宰治 「鴎」
・・・川端。山中。宮前。貧家。座敷。洋館なぞで、これがどの狂言にでも使われます。だから床の間の掛物は年が年中朝日と鶴。警察、病院、事務所、応接室なぞは洋館の背景一つで間に合いますし、また、云々。』――『チャプリン氏を総裁に創立された馬鹿笑いクラブ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・極端に吊りあがった二つの眼は、山中の湖沼の如くつめたく澄んでいた。純白のドレスを好んで着した。 アグリパイナには乳房が無い、と宮廷に集う伊達男たちが囁き合った。美女ではなかった。けれどもその高慢にして悧※、たとえば五月の青葉の如く、花無・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ちょうど自分が観測室内にいた時に起こった地鳴りの際には、磁力計の頂上に付いている管が共鳴してその頭が少なくも数ミリほど振動するのを明らかに認める事ができたし、また山中で聞いた時は立っている靴の底に明らかにきわめて短週期の震動を感じた。これだ・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ ホテルの付近の山中で落葉松や白樺の樹幹がおびただしく無残にへし折れている。あらしのせいかと思って聞いてみると、ことしの春の雪に折れたのだそうである。降雨のあとに湿っぽい雪がたくさん降って、それが樹冠にへばりついてその重量でへし折られた・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・それは、日本航空輸送会社の旅客飛行機白鳩号というのが九州の上空で悪天候のために針路を失して山中に迷い込み、どうしたわけか、機体が空中で分解してばらばらになって林中に墜落した事件について、その事故を徹底的に調査する委員会ができて、おおぜいの学・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫