・・・その六十里の海岸を町から町へ、岬から岬へ、岩礁から岩礁へ、海藻を押葉にしたり、岩石の標本をとったり、古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったり、そしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら、二十幾日の間にだんだん南へ移って行きました。・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・山の岩石の構造の相違やそこを登攀する技術の相違や雪の質、氷河の性質等に就いてカメラがもっと科学的に活用されていたらばあれだけの長さの内容をもっと豊富にし得たであろう。 ソヴェト同盟のシュミット博士一行の極地探険の記録映画は誠に感銘深いも・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・武蔵野の土は、岩石の風化でできた土とは、非常に違ったものである。いくら掘ってみても同じようにボコボコしているし、石などは一つも出て来ない。植物の根がのびて行くのを邪魔するものは何もない。たぶんその結果であろう、武蔵野の樹木はのびが非常に早い・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫