・・・両手を鼠の糞と埃との多い床の上について、平伏するような形をしながら、首だけ上げて、下から道士の顔を眺めているのである。 道士は、曲った腰を、苦しそうに、伸ばして、かき集めた紙銭を両手で床からすくい上げた。それから、それを掌でもみ合せなが・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・、以下、二三言、私、明けて二十八年間、十六歳の秋より四十四歳の現在まで、津島家出入りの貧しき商人、全く無学の者に候が、御無礼せんえつ、わきまえつつの苦言、いまは延々すべき時に非ずと心得られ候まま、汗顔平伏、お耳につらきこと開陳、暫時、おゆる・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・、以下、二三言、私、明けて二十八年間、十六歳の秋より四十四歳の現在まで、津島家出入りの貧しき商人、全く無学の者に候が、御無礼せんえつ、わきまえつつの苦言、今は延々すべきときに非ずと心得られ候まま、汗顔平伏、お耳につらきこと開陳、暫時、おゆる・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・むかしの私だったら、この種の原稿の依頼に対しては汗顔平伏して御辞退申し上げるに違いないのであるが、このごろの私は少し変った。日本のために、自分の力の全部を出し切らなければならぬ。小説界と映画界とは、そんなに遠く隔絶せられた世界でもない。小説・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・去年の夏にも、私はこの娘さんと同じ年恰好の上品な女中を兄の長女かと思い、平伏するほどていねいにお辞儀をしてちょっと具合いの悪い思いをした事があるので、こんどは用心してそう言ったのである。 小さい姪というのは兄の次女で、これは去年の夏に逢・・・ 太宰治 「故郷」
・・・ゆえ、いたずらに、あの、あの、とばかり申して膝をゆすり、稀には、へえ、などの平伏の返事まで飛び出す始末で、われながら、みっともない。かくては、襖の蔭で縫いものをしている家の者に迄あなどられる結果になるやも知れぬという、けち臭い打算から、私は・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・平民と同格なるはすなわち下落ならんといえども、旧主人なる華族と同席して平伏せざるは昇進なり。下落を嫌わば平民に遠ざかるべし、これを止むる者なし。昇進を願わば華族に交るべし、またこれを妨る者なし。これに遠ざかるもこれに交るも、果してその身に何・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・あまがえるはすっかり恐れ入って、ふるえて、すきとおる位青くなって、その辺に平伏いたしました。そこでとのさまがえるがおごそかに云いました。「お前たちはわしの酒を呑んだ。どの勘定も八十銭より下のはない。ところがお前らは五銭より多く持っている・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・主人の樺の枝の鞭の前には平伏しなければならない小作人でも、自分の小屋では主人だった。 彼が擲りつけても誰からも苦情の出ない者を公然ともっていた。それは女房だ。子供らだった。 ロシアの古い民謡の中に、若い娘の婚礼の唄がいくつもある。陽・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・床の間の前へ行って据わると、それ、御託宣だと云うので、箕村は遥か下がって平伏するのだ。」「箕村というのは誰だい。」「箕村ですか。あの長浜へ出る処に小児科病院を開いている男です。前の細君が病気で亡くなって忌中でいると、ある日大きな鯛を・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫