・・・ただ淡水と潮水とが交錯する平原の大河の水は、冷やかな青に、濁った黄の暖かみを交えて、どことなく人間化された親しさと、人間らしい意味において、ライフライクな、なつかしさがあるように思われる。ことに大川は、赭ちゃけた粘土の多い関東平野を行きつく・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ クララは炬火を持った四人にすすり泣きながら歎願した。四人はクララを中央に置いて黙ったままうずくまった。 平原の平和な夜の沈黙を破って、遙か下のポルチウンクウラからは、新嫁を迎うべき教友らが、心をこめて歌いつれる合唱の声が、静かにか・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ それぎり何事もなく、汽車は川中島を越え、浅間の煙を望み、次第に武蔵の平原に近づきまする。 上野に着いたのは午後の九時半、都に秋風の立つはじめ、熊谷土手から降りましたのがその時は篠を乱すような大雨でございまして、俥の便も得られぬ処か・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・レエルモントフのコウカサスに於ける、薄倖の革命詩人、レヴィートフの中央ロシヤの平原に於けるそれであった。 彼等は、この広い天地に、曾て、自分を虐遇したとはいえ、少年時代を其処に送った郷土程、懐かしいものを漂浪の間に見出さなかった事である・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・奉天を出発した時は、まだ、満洲の平原に青い草が見えていた。それが今は、何一ツ残らず、すべてが枯色だ。 黒龍江軍の前哨部隊は、だゝッぴろい曠野と丘陵の向うからこちらの様子を伺っていた。こちらも、攻撃の時期と口実をねらって相手を睨みつゞけた・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・やがてロンバルディの平原へ出る。桑畑かと思うものがあり、また麦畑もあった。牧場のような所にはただ一面の緑草の中にところどころ群がって黄色い草花が咲いている。小川の岸には楊やポプラーが並んで続いていた。草原に派手な色の着物を着た女が五六人車座・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・は大川。しかしまたチャム語でも「ナイ」は河または河辺の野であり、アイヌやサモア、マオリ語でも「アナ」は穴でもある。戸波 「ペッパロ」は川口。またモン語で「ウェア」は平原。大西 「オニウシ」大きな森。奈路 この地名は土佐各所の山中・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがった、しずかな奇麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。 子どもは、やどりぎの枝をもって、一生けん命にあるきだしました。 けれども、その立派な雪が落ち切ってしまったころから・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・豊後の、海沿いに島があったり、入江があったり、実に所謂いい景色にちんまりしていたのが、日向にかかると、風景がずっと放胆で平原的になった。広々した畑、関西風な村を抜けて自動車が青島へ向い駛るにつれ、私は段々愉快で堪らなくなって来た。別府、臼杵・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
出典:青空文庫