・・・ 助手の浅利君は部屋に居なかった、出勤している事は帽子掛の帽子と外套でわかっているが朝から顔を見なかった。平日でも自分の室の前はめったに人の通らないところである。呼鈴を押しに立つ事は到底出来ないから浅利君が帰るまで待っている外にはどうす・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・吉原を通りぬけて鷲神社の境内に出ると、鳥居前の新道路は既に完成していて、平日は三輪行の電車や乗合自動車の往復する事をも、わたくしはその日初めて聞き知ったのである。 吉原の遊里は今年昭和甲戌の秋、公娼廃止の令の出づるを待たず、既に数年前、・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・入場料はその時分から六拾円であるが、日曜日でない平日でも看客は札売場の前に長い列をなし一時間近くたって入替りになるのを我慢よく待っていたものだ。しかし四、五月頃から浅草ではモデルの名画振りは禁止となり、踊子の腰のまわりには薄物や何かが次第に・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた時はやって来て長く遊んでいった。元来が鷹揚なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなは・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・したがって自分が最上と思う製作を世間に勧めて世間はいっこう顧みなかったり自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求を恣にしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはならない。この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・尽・翻訳の地理・窮理書・経済書の初歩等を授け、あるいは訳書の不足する所はしばらく漢書をもって補い、習字・算術・句読・暗誦、おのおの等を分ち、毎月、吟味の法を行い、春秋二度の大試業には、教員はもちろん、平日教授にかかわらざる者にても、皆、学校・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・また平日の貧曙覧に非ず。彼がわずかに王政維新の盛典に逢うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・――じゃ何だな、大晦日も元日もソヴェト同盟じゃ平日なんだね。 ――その緑のボッチの番のものが三十一日に、黄ボッチが一日に休むだけだ。工場や役所じゃほかの番の者がどしどし働いてるんだ。プロレタリアートのほんとうの一月の記念日は一日じゃない・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・単一化そうとばかり方向がむけられていて、人間は働き、そして休みくつろぐものであるという、生存の根本のリズムがつかまれていない。平日と式日という風にだけ頭が向けられていてそれを何とか一つもので間に合わそうと考えられている。それでは美しさも、凜・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・田舎風な都会、一年の最高頂の時期は、罵声と殴り合いの合奏する巨額な金の集散、そのおこぼれにあずからんとする小人の詭計の跳梁、泥酔、嬌笑に満ち、平日は通俗絵入新聞が地方客に向って撒く文化を糧としつつ、ヴォルガ沿岸の農民対手の小商売で日暮してい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫