・・・ 夜烏子は山の手の町に居住している人たちが、意義なき体面に累わされ、虚名のために齷齪しているのに比して、裏長屋に棲息している貧民の生活が遥に廉潔で、また自由である事をよろこび、病余失意の一生をここに隠してしまったのである。或日一家を携え・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・商人から饗応を受けることは昔より廉潔の士の好まざる所である。漂母が一飯の恵と雖一たび之を受ければ恩義を担うことになるからである。 僕は忍ばねばならぬことは之を忍び、避けねばならぬことは之を避けた。僕としては聊考慮を費したつもりである。拙・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固より家内・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・直情径行で妥協ぎらいで廉潔なカールは、イエニーから見れば本当に巨人的な子供であった。その鼻の形が示しているように気短かなところがあるカールは、何かにつけてイエニーの驚くべき公平な判断と聰明を必要とした。 イエニーはカールの読みにくい原稿・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・曲った金品を取らせようとする人間とそれを取るか、取らぬかの判断は、当事者の廉潔心によるしかない立場におかれる人間との関係というものは、社会的などういう相互利害の関係から生じるのであろうか。最も根底的なこれらの人間関係の腐敗の原因は何処にある・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・だからここでもおのれ自身のなかから、男らしさの心構えが押し出されてくる。廉潔を尚ぶのは、外聞のゆえではなくして、自敬の念のゆえである。こうして自敬の念に基づく心構えが、やがて武道とか男の道とかの主要な内容になってくると、争闘の技術としての武・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫