・・・大工に家を手入れをさせる時も、粗壁に古新聞を張る時も、従妹を伴れては老父が出かけて行った。そしてそういう費用のすべては、耕吉の収入を当てに、「Gの通」といったような帳面を拵えてつけておいた。 ある晩酒を飲みながら老父は耕吉に向って、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、柔やかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭で尽きてい・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 中 十二月に入ると急に寒気が増して霜柱は立つ、氷は張る、東京の郊外は突然に冬の特色を発揮して、流行の郊外生活にかぶれて初て郊外に住んだ連中を喫驚さした。然し大庭真蔵は慣れたもので、長靴を穿いて厚い外套を着て平・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・と廷珸はいい張る。「イヤ、そうは脱けさせない。自分は隠しじるしをして置いた、それが今何処にある。ソンナ甘い手を食わせられる自分じゃない」という。「そりゃいい掛りというもので、原物を返せば論はないはずだ」という。双方負けず劣らず遣合って、チャ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それで、己は周勃と陳平とを一緒にしたんだなどと意張るのです。すると私が、何だ貴様が周勃と陳平とを一緒にしたのなら己は正成と正行とを一緒にしたのだと云って互に意張り合って、さあ来いというので角力を取る、喧嘩をする。正行が鼻血を出したり、陳平が・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・「とうさん、障子なんか張るのかい。」 次郎はしばらくそこに立って、私のすることを見ていた。「引っ越して行く家の障子なんか、どうでもいいのに。」「だって、七年も雨露をしのいで来た屋根の下じゃないか。」 と私は言ってみせた。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・慾ということも大事ですね。慾張ると、どうしても、ちょっと、ごまかしてみたくなりますし、ごまかそうとすると、いろいろ、ややこしくなって、遂に馬脚をあらわして、つまらない思いをするようになります。わかり切った感想ですが、でも、これだけの事を体得・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・「張る」「ふえる」「腫るる」などもhまたはfにrの結合したものである。full, voll, πλω なども連想される。 夏と熱とはいずれもnとtの結合である。現代のシナ音では、熱は jo の第四声である。「如」がジョでありニョであ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・傾城の誠が金で面を張る圧制な大尽に解釈されようはずはない。変る夜ごとの枕に泣く売春婦の誠の心の悲しみは、親の慈悲妻の情を仇にしたその罪の恐しさに泣く放蕩児の身の上になって、初めて知り得るのである。「傾城に誠あるほど買ひもせず」と川柳子も已に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「四時から店を張るよ。昼間は静だから入らっしゃいよ。」「休む日はないのか。」「月に二度公休しるわ。」「どこへ遊びに行く。浅草だろう。大抵。」「そう。能く行くわ。だけれど、大抵近所の活動にするわ。同なじだもの。」「お前・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫