・・・この答の当否を穿鑿する必要は、暫くない。ともかくも答を得たと云う事が、それだけですでに自分を満足させてくれるからである。「さまよえる猶太人」に関して、自分の疑問に対する答を、東西の古文書の中に発見した人があれば、自分は切に、その人が自分・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ これらの答の当否は、今こゝでは別問題として、「何のために書くか」「何故に書くか」を自分自らに問うことは、文章を書く上に必らず判然しなければならない根本問題であることを注意したい。 漠然と文章を作るのは、無意味である。文章を書く際に・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・ 西洋を旅行している間に出会う黄色い顔をした人間が日本人であるかシナ人であるかを判断する一つの簡単な目標は写真機をさげているかいないかであるといった人がある。当否は別としておもしろい話である。いったい日本人ぐらいいわゆる風景に対して関心・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・と訳しているのでも、当否は別としてやはり面白い。欠けた硝子片を寄せたものは破れない硝子板にはならないのである。 老子は虚無を説くから危険思想だとこわがる人があるそうである。しかし自分が電車で巡り合った老子の虚無は円満具足を意味する虚無で・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・この理論の当否は問わざるも、抽象的にこの事は可能なるべし。今かくのごとき場合にも天然現象は必ず単義的に起るとすれば、それは如何なる理由によるべきか。ここに「安定度」とか「公算」とかいう言葉が科学者の脳裡に浮ぶべし。ここに吾人は科学と形而上学・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・この仮説は非常なめんどうさえいとわなければ多くの実例について一々調査した上で当否を確かめ得られるであろうと思われる。 それにしてもまだどうにも説明のできないと思われるのは、自分の場合における次の実例である。 梨の葉に病気がついて黄色・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その推移がその夢の作者の胸裏の秘密のある一面の「流行の姿」を物語ることになるのである。ここにも「虚実の出入」があるといわれる。 夢には色彩が無いという説がある。その当否は別として、この事と「他門の句は彩色のごとし。わが門の句は墨絵のごと・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ この所説の当否は別問題として、この人の言う意味での正しい詩の典型となるべきものが日本の和歌や俳句であろう。雄弁な饒舌は散文に任して真に詩らしい詩を求めたいという、そういう精神に適合するものがまさにこうした短詩形であろう。この意味でまた・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・この学説の当否についてはもちろん種々の議論があるであろうが、ここではもちろんそれは問題にしない。この論文の始めの序説中、日本人の独創能力に乏しい事を述べた一節に、チャンバレーン博士の言ったという言葉を引いて、「この邦土で純粋に日本固有という・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫