・・・の力に思い及ぶ時、この哀れなる朱と金箔と漆の宮殿は、その命の今日か明日かと危ぶまれる美しい姫君のやつれきった面影にも等しいではないか。 そもそも最初自分がこの古蹟を眼にしたのは何年ほど前の事であったろう。まだ小学校へも行かない時分ではな・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ そのものの性質よりいえば、われわれの方のものは personal のもので、作物を見て作った人に思い及ぶ。電車の軌道は誰が敷いたかと考える必要はないが、芸術家のものでは、誰が作ったということがじき問題になる。従って製作品に対する情緒が・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・私は話に聞く彼の気性又は帰朝後一致されなかったすべての周囲の状態を思い浮べると、病院の飯は不美味いと云うのは極く極く表面的な理由であったろうと云う事に思い及ぶのである。 彼は死ぬまで彼自身でありあらせ様とした。此頃は、或点までは彼が随意・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・そうしてかくのごとき気分と思想とが漸次近代偶像破壊者の模倣に堕して行ったことには、ついに思い及ぶところがなかった。 予は当時を追想して烈しい羞恥を覚える。しかし必ずしも悔いはしない。浅薄ではあっても、とにかく予としては必然の道であった。・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫