・・・楕円形の中の肖像も愚鈍の相は帯びているにもせよ、ふだん思っていたほど俗悪ではない。裏も、――品の好い緑に茶を配した裏は表よりも一層見事である。これほど手垢さえつかずにいたらば、このまま額縁の中へ入れても――いや、手垢ばかりではない。何か大き・・・ 芥川竜之介 「十円札」
一 じゅりあの・吉助は、肥前国彼杵郡浦上村の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名三郎治と云うものの下男になった。が、性来愚鈍な彼は、始終朋輩の弄り物にされて、牛馬同様な賤役に服さ・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・最後にその二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心が腹立たしかった。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云う心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。するとその時夕刊の紙面に落ちていた外・・・ 芥川竜之介 「蜜柑」
・・・後年私は、新聞紙上で、軍人や官吏が栄転するたびに、大正何年組または昭和何年組の秀才で、その組のトップを切って栄進したという紹介記事を読んで、かつての同級生の愚鈍な顔を思い出さぬ例しは一度もないくらいである。彼等が今日本の政治の末端に与ってい・・・ 織田作之助 「髪」
・・・一年、二年経つうちに、愚鈍の私にも、少しずつ事の真相が、わかって来た。人の噂に依れば、私は完全に狂人だったのである。しかも、生れたときからの狂人だったのである。それを知って、私は爾来、唖になった。人と逢いたくなくなった。何も言いたくなくなっ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・十九世紀の、巴里の文人たちの間に、愚鈍の作家を「天候居士」と呼んで唾棄する習慣が在ったという。その気の毒な、愚かな作家は、私同様に、サロンに於て気のきいた会話が何一つ出来ず、ただ、ひたすらに、昨今の天候に就いてのみ語っている、という意味なの・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・何かにつけて愚鈍な男である。」 と、そこまでは、まず大過なかったのであるが、「けれども」と続けて一枚くらい書きかけ、これあいけないと、あわてて破った。もう、そのすぐ次に、うかと大事をもらすところであったのである。 一つ、書きたい短篇・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。 私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なか・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・醜と愚鈍とは死刑である。そうして立ちあがったところで、さて、私には何が出来た。殺人、放火、強姦、身をふるわせてそれらへあこがれても、何ひとつできなかった。立ちあがって、尻餅ついた。サラリイマンは、また現われて、諦念と怠惰のよさを説く。姉は、・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・それにしてもこの映画に現われた人間の芝居がいかにしてあれほど愚鈍で不愉快であるかが不思議である。少なくも映画俳優としては人間は犬やトナカイの脚下にひざまずいて教えをこう必要がある。 これと連関して自分の常に感ずることは、映画に現われる「・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫