・・・しかし弁天社務所の倒潰を見たとき初めてこれはいけないと思った、そうして始めて我家の事が少し気懸りになって来た。 弁天の前に電車が一台停まったまま動きそうもない。車掌に聞いてもいつ動き出すか分らないという。後から考えるとこんなことを聞くの・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・とにかく他家の雑煮を食うときに「我家」と「他家」というものの間に存するかっきりした距たりを瞬間の味覚に翻訳して味わうのである。 土佐の貧乏士族としての我家に伝わって来た雑煮の処方は、椀の底に芋一、二片と青菜一とつまみを入れた上に切餅一、・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・ 二十年前の我家のすぐ隣りは叔父の屋敷、従兄の信さんの宅であった。裏畑の竹藪の中の小径から我家と往来が出来て、垣の向うから熟柿が覗けばこちらから烏瓜が笑う。藪の中に一本大きな赤椿があって、鵯の渡る頃は、落ち散る花を笹の枝に貫いて戦遊びの・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・世界の如何なる片隅をも我家のように楽しく談笑している外国人の中に交って、自分ばかりは唯独り心淋しく傾けるキァンチの一壜に年を追うて漸く消えかかる遠い国の思出を呼び戻す事もあった。 銀座界隈には何という事なく凡ての新しいものと古いものとが・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・一 婦人は夫の家を我家とする故に唐土には嫁を帰るといふなり。仮令夫の家貧賤成共夫を怨むべからず。天より我に与へ給へる家の貧は我仕合のあしき故なりと思ひ、一度嫁しては其家を出ざるを女の道とする事、古聖人の訓也。若し女の道に背き、去・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す事はない、という、こういう趣を考えたが、時間が長過ぎて句にならぬ、そこで急に我家へ帰った。自分の内の庭には椎の樹があ・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ある時は天を焦す焔の中に無数の悪魔が群りて我家を焼いて居る処を夢見て居る。ある時は万感一時に胸に塞がって涙は淵を為して居る。ある時は惘然として悲しいともなく苦しいともなく、我にもあらで脱殻のようになって居る。固よりいろいろに苦んで居たに違い・・・ 正岡子規 「恋」
・・・といふ原稿書きをへし処に、彼子猫はやうやくいたづら子の手を逃れたりとおぼしくゆうゆうと我家に上り我横に寐居る蒲団の上、丁度我腹のあたりに蹲りてよごれ乱れたる毛を嘗め始めたり。妹は如何思ひけん糸に小き球をつけてこれを猫の目の前にあちこちと振り・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ 痛さは納まりそうにないので、体の全力を両足に集めて漸く立ちあがり得た栄蔵は、体を二つに折り曲げたまま、額に深い襞をよせて這う様にして間近い我家にたどりついた。 土間に薪をそろえて居たお節は、この様子を見ると横飛びに栄蔵の傍にかけよ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 商人は商人気質の鋭さ万能に、家を守る女性は、何はともあれ我家のやりくり専一に、それぞれ主観の利益に立った個々の生きかたを続けて来たところへ、今日は一方から謂わば純理的な方針が与えられ、しかもその純理的な算数の根本には、まだ従来の生産の・・・ 宮本百合子 「主婦意識の転換」
出典:青空文庫