・・・奉公に来て二日目の朝、てるは庭先で手帖を一冊ひろった。それには、わけのわからぬ事が、いっぱい書かれて在った。美濃十郎の手帖である。○あれでもない、これでもない。○何も無い。○FNへチップ五円わすれぬこと。薔薇の花束、白と薄紅がよ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・けれども、家の者は、何やら小さい手帖に日記をつけている様子であるから、これを借りて、それに私の註釈をつけようと決心したのである。「おまえ、日記をつけているようだね。ちょっと貸しなさい。」と何気なさそうな口調で言ったのであるが、家の者は、・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・軍隊手帖を引き出すのがわかる。かれの眼にはその兵士の黒く逞しい顔と軍隊手帖を読むために卓上の蝋燭に近く歩み寄ったさまが映った。三河国渥美郡福江村加藤平作……と読む声が続いて聞こえた。故郷のさまが今一度その眼前に浮かぶ。母の顔、妻の顔、欅で囲・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 主婦は奧の間から古ぼけた手帳のようなものを出して来た。それをあけて見ながら、何かしら単語のようなものを切れ切れに読んで聞かせた。それは「コンニチワ」「オハヨオ」などというような種類のものであったが、あまり発音が変っているから、はじめは・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・そんな時には手帳の端へ暗号のような言葉でその考えの端緒を書き止めたりしていた。しかしそのような状態はいつまでも持続するわけではなくて、これと反対な倦怠の状態も週期的に循環して来た。そういう時には何を読んでも空虚であった。そこに書いてある表面・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ このおもしろい研究の結果を聞かされたときに、ふと妙な空想が天の一方から舞い下って手帳のページにマークをつけた。それを翻訳すると次のようなことになる。 時間の長さの相対的なものであることは古典的力学でも明白なことである。それを測る単・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・しかし、気をつけないと、自働交換台の豆電燈の瞬きを手帳に記録するだけで満足するようなことになる恐れがないとは云われない。 七 ドンキホーテの映画を見た。彼の誇大妄想狂の原因は彼の蒐集した書物にあるから、これを・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やは・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・のことをきくと、渡しはもうありませんが、蒸汽は七時まで御在ますと言うのに、やや腰を据え、舟なくば雪見がへりのころぶまで舟足を借りておちつく雪見かな その頃、何や彼や書きつけて置いた手帳は、その後いろいろな反古と共に、一た・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・そしたら僕は大きな手帳へ二冊も書いて来て見せよう。五月七日今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼ねしたようすで僕が半・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫