・・・その一方ではまた、きょうは元旦だから腹を立てたりしてはいけないという抑制的心理が働いて来る、そうするとかえってそれを押し倒すような勢いで腹立たしさが腹の底から持ち上がって来るのであった。その瞬間にこの男は突然に、実に突然になくなった父のこと・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・自然の不可思議な機構を捜る喜びと、本能の欲求する睡眠を抑制するつらさとが渾然と融和した形になって当時の記憶を彩っているようである。 その頃の熱海行きは、国府津まで汽車で行って国府津から小田原まで電車、小田原からは人車鉄道という珍しい交通・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・さて以上の心理から起こるアタヴィズム的傾向は連句の規約上厳重に抑制せられるから、少なくも完成した古人の連句集には原則としては現われないはずである。しかしこういう人間の本能的な傾向から起こって来る作用の効果はなかなか根強いものであって、そうそ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・僕は比較的良家の生れ、子供の時に甘やかされて育った為に、他人との社交について、自己を抑制することができないのである。その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがって居たので、学校では一人だけ除け物にされ、いつも周囲から冷たい敵意・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・中津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・この人間性の覚醒と行動の抑制との相剋があらゆる方面にあらわれていたルネッサンス時代に、インドにおける植民地の拡大と、その結果、より速い資本主義社会への足なみをもったイギリスで、シェクスピアの豊富な才能が、思いをこめてじっと動かず微笑するレオ・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・と、全場面に対して湧き起る顫えるような憎悪を抑制して苦々しく笑い、「そういう議論を、こんなところではじめたってお互の為にろくなことはないんだからね。やめましょう」 母親は、不服げに、十分意味はさとらず、然しぼんやりそれが何か不利・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 公的な、人民的社会的なものを、偽りなく公的な本質におくこと、そして、私的なものは、その社会福祉の真に公的なもののために必要な抑制を蒙ること。この自明の道理こそ、民主の基本であると思う。わたしたちは、社会の公器が公器であることを欲する。・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
・・・しかし、この作品は、当時まだジイドが宗教や家庭の日常習慣に抑制されていたのと、当時の象徴派の文学的傾向に従っていたので、文体も綺麗ごとに終り、苦しむ青年の魂をひきよせるかわりに、メエテルリンクから「悲しい不思議な、乙女達の愛読書」と評された・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・ 日本のファシズムが露骨に言論統制をはじめ、文化抑制を強行し、文学者の存在権は文学上の業績ではなくて軍御用の程度によって保障されるようになって行ったとき、ファシストでない大多数の人々は、もちろんその軍部の乱暴を感じていた。無知、野蛮な専・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
出典:青空文庫