・・・僕はもう一度人目に見えない苦しみの中に落ちこむのを恐れ、銀貨を一枚投げ出すが早いか、そうそうこのカッフェを出ようとした。「もし、もし、二十銭頂きますが、……」 僕の投げ出したのは銅貨だった。 僕は屈辱を感じながら、ひとり往来を歩・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ とぶるぶると胴震いをすると、翼を開いたように肩で掻縮めた腕組を衝と解いて、一度投出すごとくばたりと落した。その手で、挫ぐばかり確と膝頭を掴んで、呼吸が切れそうな咳を続けざまにしたが、決然としてすっくと立った。「ちょっと御挨拶を申上・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・――投出す生命に女の連を拵えようとするしみったれさはどうだ。出した祝儀に、利息を取るよりけちな男だ。君、可愛い女と一所に居る時は、蚤が一つ余計に女にたかっても、ああ、おれの身をかわりに吸え、可哀想だと思うが情だ。涼しい時に虫が鳴いても、かぜ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 砂山が急に崩げて草の根で僅にそれを支え、其下が崕のようになって居る、其根方に座って両足を投げ出すと、背は後の砂山に靠れ、右の臂は傍らの小高いところに懸り、恰度ソハに倚ったようで、真に心持の佳い場処である。 自分は持て来た小説を懐か・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・成寺ではないが、かねに恨が数ござる、思えばこのかね恨めしやの税で、こっちの高慢税の如きは、金と花火は飛出す時光る、花火のように美しい勢の好い税で、出す方も、ソレ五万両、やすいものだ、と欣にこにことして投出す、受取る方も、ハッ五万円、先ずこれ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・読みさしの新聞を妹やお徳の前に投げ出すようにして言った。「こんな、罪もない子供までも殺す必要がどこにあるだろう――」 その時の三郎の調子には、子供とも思えないような力があった。 しかし、これほどの熱狂もいつのまにか三郎の内を通り・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それを聞くと、末子はからだもろとも投げ出すような娘らしい声を出して、そこへ笑いころげた。 どうしてその婦人のことが、こんなに私たちの間にうわさに上ったかというに、十八年も前に亡くなった私の甥の一人の配偶で、私の子供たちから言えば母さんの・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・勘当と言って投げ出す銀煙管。「は、は。この子は、なかなか、おしゃまだね。」 知識人のプライドをいたわれ! 生き、死に、すべて、プライドの故、と断じ去りて、よし。職工を見よ、農家の夕食の様を覗け! 着々、陽気を取り戻した。ひとり、くら・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を乗り込んで来て、舗道の上になんだか棒のようなものを投げ出す。その音で長い一夜の沈黙が破られる。この音からつるはしのようなもので薪を割る男が呼び出される。軒下に眠るルンペンのいびきの音が伴奏を始める。家・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・爆竹に火をつけて群集の中へ投げ出す。赤や青の火の玉を投げ上げる。遅れて来る人々もあちこちの横町からプロージット・ノイヤールと口々に叫ぶ。町の雪は半分泥のようになった上を爪立って走る女もあれば、五六人隊を組んで歌って通る若者もある。巡査もにこ・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
出典:青空文庫