○十年ほど前に僕は日本画崇拝者で西洋画排斥者であった。その頃為山君と邦画洋画優劣論をやったが僕はなかなか負けたつもりではなかった。最後に為山君が日本画の丸い波は海の波でないという事を説明し、次に日本画の横顔と西洋画の横顔とを並べ画いてそ・・・ 正岡子規 「画」
・・・むしろ排斥せられたのがこの紀行の旨い所以ではあるまいか。血達磨の紀行には時として人を驚かすような奇語奇文奇行がないではないが、惜しい事には文字に不穏当な処が多い。殊にその豪傑志士を気取る処は俗受けのする処であってその実その紀行の大欠点である・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉に出づるがごとく、檀林等流派を異にする者もなお芭蕉を排斥せず、かえって芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加うるを見る。ここにおいてか芭蕉は無比無類の俳人として認められ、また一人のこれに匹敵する者ある・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・、個々の具象性の分析、綜合から客観的現実への総括を、あるいはその逆の作用をみずみずしく営み得るはずのプロレタリア作家ともあるものが、自分のしゃべる言葉に対する大衆的反応を刻々感得することなく、自身を「排斥された異端者」と文学的に詠嘆するに至・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・なぜなら、その帝国主義排斥のまとになって殉教した人々は善良かつ悪意のない人々であったからである――彼等は盲目的であったが、そのために善良かつ悪意のなかったことに累を及ぼす筈がない。」そして、バックは「これ等二つのもの――理性と心の声は決して・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・ 利己主義は倫理上に排斥しなくてはならない。個人主義という広い名の下に、いろいろな思想を籠めておいて、それを排斥しようとするのは乱暴である。 無政府主義と、それといっしょに芽ざした社会主義との排斥をするために、個人主義という漠然たる・・・ 森鴎外 「文芸の主義」
・・・あらゆる排斥運動や呪詛が女御の上に集中してくる。ついに深山に連れて行かれ、首を切られることになる。その直前にこの后は、山中において王子を産んだ。そうして、首を切られた後にも、その胴体と四肢とは少しも傷つくことなく、双の乳房をもって太子を哺ん・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・偶像は礼拝せらるべき神であった限りにおいて、当然パウロの排斥を受くべきであった。しかし美のゆえに礼拝せらるべき芸術品としては、確かにパウロから不当な取り扱いを受けた。今やその不当な取り扱いは償われ、ただ芸術品としての威厳をもって人々の上に臨・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・彼らは多くの心境を理解し得ないがゆえに、排斥する。しかし理解すればとても頭があがらなくなるようなものを、不理解のゆえに排斥するのは、彼ら自身にとってもむしろ悲惨ではないか。私は思いついたままにドストイェフスキイの例を引こう。この作家が人間の・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
・・・他人の気を兼ねるという気持ちは、そういう所へ押しつけられる体験を持たないわれわれには、単に因襲的なものとして、あるいは無性格のしるしとして、排斥されてしまったのである。 しかし少年時代からこの苦労をなめて来た藤村にとっては、それは、思想・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫