・・・たとえ、その光には、嚇々とした夏があり、楽しみの多き、また働き甲斐の多き、雄壮な人生が控えていたとはいえ。自分にとって最も、美しい幻の如く、若やかな、そして熱い血の胸に躍った、なやましい日のつゞいた、憧がれ心地に途をさ迷った、二十時代を送る・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・ どこか、庭の捨て石の下からはい出てきた、がまがえるが、日あたりのいい、土手の草の上に控えて、哲学者然と瞑想にふけっていましたが、たまたま頭が上へ飛んできた、女ちょうのひとりごとをきくと、目をぱっちりと開けて、大きな口で話しかけました。・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・めいめいに小さな飯鉢を控えて、味噌汁は一杯ずつ上さんに盛ってもらっている。上さんは裾を高々と端折揚げて一致した衆評であった。 私は始終を見ていて異様に感じた。七 女房を奪われながらも、万年屋は目と鼻の間の三州屋に宿を取っ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・連載物など、前に掲載した分を読み返すか、主要人物の姓名の控えを取って置けば間違いはないのに、それをしないものだから、平気で人名を変えたりしている。それに驚くべきことだが、字引を引いたことがないという。第一字引というものを持っていない。引くの・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・の机のうしろに坐り、そして、来た順に並ばせていちいち住所、氏名、年齢、病名をきいて帖面へ控えた。一見どうでもよいことのようだったが、これが妙に曰くありげで、なかなか莫迦に出来ぬ思いつきだった。 お前はおかね婆さんの助手で、もぐさをひねっ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・身を切るような風吹きて霙降る夜の、まだ宵ながら餅屋ではいつもよりも早く閉めて、幸衛門は酒一口飲めぬ身の慰藉なく堅い男ゆえ炬燵へ潜って寝そべるほどの楽もせず火鉢を控えて厳然と座り、煙草を吹かしながらしきりに首をひねるは句を案ずるなりけり。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・「その代り冬休という奴が直ぐ前に控えていますからな。左右に火鉢、甘い茶を飲みながら打つ楽は又別だ」といいつつ老人は懐中から新聞を一枚出して、急に真顔になり「ちょっとこれを御覧」 披げて二面の電報欄を指した。見ると或地方で小学校新・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 密輸入者の背後には、その商品を提供する哈爾賓のブルジョアが控えているばかりではなかった。資本主義××が控えていた。 どうすれば、こういう側面からのサヴエート攻撃の根を断つことができるか! 呉清輝は、警戒兵も居眠りを始める夜明け・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そこは、外には、骨を削るような労働が控えている。が、家の中には、温かい囲炉裏、ふかしたての芋、家族の愛情、骨を惜まない心づかいなどがある。地酒がある。彼は、そういうものを思い浮べた。――俺だって誰れも省みて呉れん孤児じゃないんだ! それを、・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・贄川は後に山を負い前に川を控えたる寂びたる村なれど、家数もやや多くて、蚕の糸ひく車の音の路行く我らを送り迎えするなど、住まば住み心よかるべく思わるるところなり。昼食しながらさまざまの事を問うに、去年の冬は近き山にて熊を獲りたりと聞き、寒月子・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫