・・・ 父は田崎が揃えて出す足駄をはき、車夫喜助の差翳す唐傘を取り、勝手口の外、井戸端の傍なる小屋を巡見にと出掛ける。「母さん。私も行きたい。」「風邪引くといけません。およしなさい。」 折から、裏門のくぐりを開けて、「どうも、わり・・・ 永井荷風 「狐」
・・・大勢の後から爪先を立てて覗いて見ると釣ランプの下で白粉をつけた瞽女が二人三味線の調子を揃えて唄って居る。外の三四人が句切れ句切れに囃子を入れて居る。狭い店先には瞽女の膝元近くまで聞手が詰って居る。土間にも立って居る。そうして表の障子を外した・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・と父と妹は声を揃えて問う。「追い付ける時は既に遅くあった。乗る馬の息の、闇押し分けて白く立ち上るを、いやがうえに鞭って長き路を一散に馳け通す。黒きもののそれかとも見ゆる影が、二丁ばかり先に現われたる時、われは肺を逆しまにしてランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・両足を揃えて、板壁を蹴った。私の体は投げ倒された。板壁は断末魔の胸のように震え戦いた。その間にも私は、寸刻も早く看守が来て、――なぜ乱暴するか――と咎めるのを待った。が、誰も来なかった。 私はヘトヘトになって板壁を蹴っている時に、房と房・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・と、小万とお梅とは口を揃えて声をかけた。 西宮はまた今夜にも来て様子を知らせるからと、吉里へ言葉を残して耳門を出た。「おい、気をつけてもらおうよ。御祝儀を戴いてるんだぜ。さようなら、御機嫌よろしゅう。どうかまたお近い内に」 車声・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・十本ばかり並んだ頭は風の害を受けたけれど今は起き直って真赤な頭を揃えて居る。一本の雁来紅は美しき葉を出して白い干し衣に映って居る。大毛蓼というものか馬鹿に丈が高くなって薄赤い花は雁来紅の上にかぶさって居る。 さっきこの庭へ三人の子供が来・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ そこで四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃えて叫びました。「ここへ畑起してもいいかあ。」「いいぞお。」森が一斉にこたえました。 みんなは又叫びました。「ここに家建ててもいいかあ。」「ようし。」森は一ぺん・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・…… 紅茶を運んで来た岡本の後姿が見えなくなると男たちは声を揃えて、「ワッハッハ」と笑い出した。さすがに今度は、「およしなさい」 ふき子にきつく窘められた。不幸な嫁入り先から戻って来てそのような暮しをしている岡本から見れ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 子供達は皆じいっとして木精を聞いていたのであるが、木精の声が止んでしまうと、また声を揃えてハルロオと呼んだ。 勇ましい、底力のある声である。 暫くすると木精が答えた。大きい大きい声である。山々に響き谷々に響く。 空に聳えて・・・ 森鴎外 「木精」
・・・はや乾いた眼の玉の池の中には蛆大将が勢揃え。勢いよく吹くのは野分の横風……変則の匂い嚢……血腥い。 はや下ななつさがりだろう、日は函根の山の端に近寄ッて儀式とおり茜色の光線を吐き始めると末野はすこしずつ薄樺の隈を加えて、遠山も、毒でも飲・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫