・・・ 最後に創作家としての江口は、大体として人間的興味を中心とした、心理よりも寧ろ事件を描く傾向があるようだ。「馬丁」や「赤い矢帆」には、この傾向が最も著しく現れていると思う。が、江口の人間的興味の後には、屡如何にしても健全とは呼び得ない異・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・本職は医者で、傍南画を描く男ですが。」「西郷隆盛ではないのですね。」 本間さんは真面目な声でこう云って、それから急に顔を赤らめた。今まで自分のつとめていた滑稽な役まわりが、この時忽然として新しい光に、照される事になったからである。・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそう・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・俺たちがりっぱなものを描くからだ……世の中の奴には俺たちの仕事がわからないんだ……ああ俺はもうだめだ。瀬古 ともちゃん、そのおはぎの舌ざわりはいったいどんなだったい……僕には今日はおはぎがシスティン・マドンナの胸のように想像されるよ。・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・……寝て一人の時さえ、夜着の袖を被らなければ、心に描くのが後暗い。…… ――それを、この機会に、並木の松蔭に取出でて、深秘なるあが仏を、人待石に、密に据えようとしたのである。 成りたけ、人勢に遠ざかって、茶店に離れたのに不思議はある・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉しゅうござんす、お妻の胸元を刺貫き――洋刀か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、峨々たる巌石を背に、十文字の立ち腹を掻切って、大蘇芳年の筆の冴を見よ、描く処の錦絵のごとく、黒髪山の山裾に血を・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・椿岳も児供の時から画才があって、十二、三歳の頃に描いた襖画が今でも川越の家に残ってるそうだが、どんな田舎の百姓家にしろ、襖画を描くというはヘマムシ入道や「へへののもへじ」の凸坊の自由画でなかった事は想像される。椿岳の画才はけだし天禀であった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・十日一水を画き五日一石を画くというような煩瑣な労作は椿岳は屑しとしなかったらしい。が、椿岳の画は書放しのように見えていても実は決して書放しではなかった。椿岳は一つの画を作るためには何枚も何枚も下画を描いたので、死後の筐底に残った無数の下画や・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 娘は、手に持っていたろうそくに、せきたてられるので絵を描くことができずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。 娘は、赤いろうそくを、自分の悲しい思い出の記念に、二、三本残していったのであります。五 ほんとうに穏や・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・ 娘は、手に持っている蝋燭に、せき立てられるので絵を描くことが出来ずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。 娘は、赤い蝋燭を自分の悲しい思い出の記念に、二三本残して行ってしまったのです。五 ほんとうに穏かな晩であり・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
出典:青空文庫