・・・然し、又、あれに攻められるのはやり切れないが」 彼等は、おそい昼飯を至極技巧的な快活さに於て食べた。――彼は、出来るだけ愉快な心持で善後策を講じる準備に、体は動せない代り、能う限り滑稽な話題で彼女を笑わせようとした。彼女は良人の仕うちが・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ジャーナリズムは金攻めの岩、自由攻め岩、民主攻めの岩々をよけながら難破しないで前進してゆかなければならない。ジャーナリストの眼には、ちらちら横に動くはやさのほかに、遠くのものを見とおせる航海者の視力と、ローリング・ピッチングにたえる脚の力が・・・ 宮本百合子 「ジャーナリズムの航路」
・・・ ところがその年の暮れに、急に隣国の兵が攻め寄せて来た。王様は早速、適当な兵を送り出して置いて、いつもの通り瞬く間に勝って来るのを、王宮の暖いお寝間の中で待っておられた。 けれども、どうしたのか、兵は、却って隣国の者に追いまくられ、・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ けれ共彼女の身動きもしない様に落着いて居る傍には漸々病の攻めから幾分ずつ逃れられて来た希望に満ちた美くしい子が安らかな眠りに落ちて居ます。 寝食を忘れて愛子を取り守って居る母親は喜ばしい安心に心からの眠りを続けて居るのです。 ・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・ 昼は悪い道に行きなやみ、夜は、虫共に攻められる馬は、なみよりも早く老いさらぼいて仕舞うのである。もし斯う云う生活さえさせられなかったなら、この種の良い、三春馬や相馬馬はそんなに早く、みぐるしい様子にはならないだろうのに、馬までが主の小・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮征伐のときには小西家の人質として、李王宮に三年押し籠められていた。小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出さ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※の国書は江戸へ差し出した。次は上々官金僉知、朴僉知、喬僉知の三人で、これは・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・煙は風呂場の下から逆に勘次の眼を攻めて、内庭へ舞い込むと、上り框から表の方を眺めている勘次の母におそいかかった。と、彼女は、天井に沿っている店の缶詰棚へ乱れかかる煙の下から、「宝船じゃ、宝船じゃ。」と云いながら秋三が一人の乞食を連れて這・・・ 横光利一 「南北」
・・・「しかし、この魚にとりまかれた肺病院は、この魚の波に攻め続けられている城である。この城の中で、最初に討死するのは、俺の家内だ。」と彼は思った。 事実彼にとって、眼前の魚は、煙で彼の妻の死を早めつつある無数の勇敢な敵であった。と同時に・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫