・・・かかる弊害は、近日我が邦の政談上においてもおおいに流行するが如し。左にその次第を述べん。 嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・そもそも文字の意味を広くしていえば、政治もまた学問中の一課にして、政治家は必ず学者より出で、学校は政談家を生ずるの田圃なれども、学校の業成るの日において、その成業の人物が社会の人事にあたるに及びては、おのおのその赴くところを異にせざるをえず・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとするの議論は誠に貴ぶべしといえども、未だよくこの悪事の原因を求め尽したる者にあらざるが如し。そもそも一国の政府にもせよ、また会・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百の生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、つね・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・いわんや近来は世上に政談流行して、物論はなはだ喧しき時節なるにおいてをや。人の子を教うるの学塾にして、かえって、これを傷うの憂いなきを期すべからず、云々と。 我が輩、この忠告の言を案ずるに、ある人の所見において、つまり政治経済学の有用な・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・君が維新の前後、しきりに国事に奔走して政談に熱したるは、その年齢およそ幾歳のころなりしや。この時にあたりて、世間あるいは君の軽躁を悦ばずして、君に忠告すること、今日、君が我々に忠告するが如き者はなかりしや。当時、君はその忠告を甘受したるか。・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・自らこれを汚し、一点の汚穢は終身の弱点となり、もはや諸々の私徳に注意するの穎敏を失い、あたかも精神の痲痺を催してまた私権を衛るの気力もなく、漫然世と推移りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本を・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・有名な中島湘煙が十九歳で政談演説を行い、婦人政治家として全国遊説をし、岡山に女子親睦会というのが出来た。成田梅子は、仙台に女子自由党を組織し、男女同権という声は、稚拙ながら新興の意気をもって、日本全国に響いたのであった。 ところが、一八・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ 明治十三年に神田の区会に婦人傍聴者が現れたということが神崎清氏の婦人年鑑にあって、それから明治二十三年集会結社法で婦人の政談傍聴禁止がしかれるまで、成田梅子、村上半子、景山英子らの活溌な動きがあったのだが、岸田俊子にしろ当時の自由党員・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・明治の開化期では、ほんとに婦人も男子と等しい学力をもって勉強したのに、憲法発布の後は、政談演説さえ婦人はきいてはいけないこととなって、今日に及んだ。 歴史のより前進した今日の段階の日本で、その民主化には全く国運が賭されている。失われた数・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
出典:青空文庫