・・・ショオペンハウエルの厭世観の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか? 夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不変頭の上に涼しい光を放っている。さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寐ころんだままチョコレエトの棒でも噛る・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・御主人は以前もこう云う風に、わたしたちへ御教訓なすったのです。「変らぬのは御姿ばかりではない。御心もやはり昔のままだ。」――そう思うと何だかわたしの耳には、遠い都の鐘の声も、通って来るような気がしました。が、御主人は榕樹の陰に、ゆっくり御み・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・…… 保吉は未だにこの時受けた、大きい教訓を服膺している。三十年来考えて見ても、何一つ碌にわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。 三 死 これもその頃の話である。晩酌の膳に向った父は六兵衛の盞を手にしたまま・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・そうしてこの経験は、前の二つの経験にも増して重大なる教訓を我々に与えている。それはほかではない。「いっさいの美しき理想は皆虚偽である!」 かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はも・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・当時の文章教育というのは古文の摸倣であって、山陽が項羽本紀を数百遍反覆して一章一句を尽く暗記したというような教訓が根深く頭に染込んでいて、この根深い因襲を根本から剿絶する事が容易でなかった。二葉亭も根が漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是れ約束である、現世に於ける貧は来世に於ける富を以て報いらるべしとのことである。 哀む者は福なり、其故如何? 将さに現われんとする天国に於て其人は安慰を得べければ也とのことで・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から云い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれて居るからである。これは架空的の宗教よりも強く、また何等根拠のない道徳・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・そして、それが、単に怖がらせの妖怪談であったり、また滑稽ものであったり、然らざれば、教訓的な童話であり、若くは、全くのナンセンスであって足れりとしました。 しかし、かくのごときものは、児童等の知識の進むに従って、満足することができな・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・小学校の教員はすべからく焼塩か何にかで三度のめしを食い、以て教場に於ては国家の干城たる軍人を崇拝すべく七歳より十三四歳までの児童に教訓せよと時代は命令しているのである。 唯々として自分はこの命令を奉じていた。 然し母と妹との節操を軍・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たちへの教訓の材料になさるお方のようでもある。 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫