・・・ お互いに心の底を話して見れば、いよいよ互いに敬愛の念がみなぎり返るのであるが、ままならぬ世のならいにそむき得ず、どうしても遠い他人にならねばならない。男同士ならばますます親密の交わりができるのに男女となるとそうはゆかない。実につまらな・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・日蓮のこの道善への弟子としての礼と情愛とは世にも美しいものであり、この一事あるによって私は日蓮をいかばかり敬愛するかしれない。凡庸の師をも本師道善房といって、「表にはかたきの如くにくみ給うた」師を身延隠栖の後まで一生涯うやまい慕うた。父母の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・また、谷峨という作者の書いたものや、振鷺亭などという人の書いたものを見ますれば、左母二郎くさい、イヤな男が、むしろ讃称され敬愛される的となって篇中に現われて居るのを発見するのでありまして、谷峨の描きました五郎などという男を、引き伸ばしの写真・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・筑摩書房の古田氏から、井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰と・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・湖上往来の舟がこの廟前を過ぐる時には、舟子ども必ず礼拝し、廟の傍の林には数百の烏が棲息していて、舟を見つけると一斉に飛び立ち、唖々とやかましく噪いで舟の帆柱に戯れ舞い、舟子どもは之を王の使いの烏として敬愛し、羊の肉片など投げてやるとさっと飛・・・ 太宰治 「竹青」
・・・を血にして、たたけ、五百度たたきて門の内こたえなければ、千度たたかむ、千度たたきて門、ひらかざれば、すなわち、門をよじのぼらむ、足すべらせて落ちて、死なば、われら、きみの名を千人の者に、まことに不変の敬愛もちて千語ずつ語らむ。きみの花顔、世・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・またかつて私たちの敬愛の的であった田舎親爺の大政治家レニンも、常に後輩に対し、「勉強せよ、勉強せよ、そして勉強せよ」と教えていた筈であります。教養の無いところに、真の幸福は絶対に無いと私は信じています。 私はいまジャーナリズムのヒステリ・・・ 太宰治 「返事」
・・・に対しては好意と敬愛のほか何物も持っていない事をこの機会に明らかにしておきたい。悪言多罪。 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・もちろんその寂しい感じには、父や兄に対する私の渝わることのできない純真な敬愛の情をも含めないわけにはいかなかった。それは単純な利害の問題ではなかった。私が父や兄に対する敬愛の思念が深ければ深いほど、自分の力をもって、少しでも彼らを輝かすこと・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・元田は真に陛下を敬愛し、君を堯舜に致すを畢生の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふる・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫