・・・ からすは、はとの仲間入りすることは断念しましたが、都の空は煙でいつも濁っていて、それに、餌を探すようなごみためがいたって少ないので、そこにいる間は餓えを忍んでいなければなりませんでした。からすは、この都がちっとも自分にとって、いいとこ・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・ もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみた・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・私は仕事を断念した。そうして宿の丹前に羽織をひっかけ、こうなれば一つその地蔵様におまいりでもして、そうしてここを引き上げようと覚悟をきめた。宿を出ると、すぐ目の前に見世物小屋。テントは烈風にはためき、木戸番は声をからして客を呼んでいる。ふと・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・私は原稿料や印税の事など説明して聞かせたが、半分もわからなかったらしく、本を作って売る商売なら本屋じゃないか、ちがいますか、などという質問まで飛び出す始末なので、私は断念して、まあ、そんなものです、と答えて置いた。どれくらいの収入があるもの・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ アグリパイナは、ほとんど復讐を断念していた。この子だけは、と弱草一すじのたのみをそこにつないだ。その子は、夏の真昼に生れた。男子であった。膚やわらかく、唇赤き弱々しげの男子であった。ドミチウスと呼ばれた。 父君ブラゼンバートは、嬰・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ それやこれやで、私は、私自身、湖畔の或る古城に忍び入る戦慄の悪徳物語を、断念せざるを得なくなった。その古城には、オフェリヤに似た美しい孤独の令嬢もいるのだけれど。いまは一切を語らぬ。いい気になって、れいの調子づいて、微にいり細をうがっ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・中に一匹腰が抜けて足の立たないのがいて、他の仲間のような活動を断念してたいていいつも小屋の屋根の上でごろごろしている。それがどうかして時おり移動したくなるとひょいと逆立ちをして麻痺した腰とあと足を空中高くさし上げてそうして前足で自由に歩いて・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・自分など一二度試みてあきれてしまってそれきり断念したことであった。 ひと年かふた年ぐらい裏の畑に棉を作ったことがあった。当時子供の自分の目に映じた棉の花は実に美しいものであった。花冠の美しさだけでなくて花萼から葉から茎までが言葉では言え・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・これらも少し科学的に頭を使ってやれば、燃料が燃え切った頃にだいたい丁度になるようにするくらいは、何でもない事であろうが、これは現在の状況では、要求する方が無理であろうと思って、とうとう断念してしまった。それから一年くらいはその寒暖計が風呂場・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
出典:青空文庫