・・・この男は、日本一のフランス文学者である。われは、きょうはじめて、この男を見た。なかなかの柄であって、われは彼の眉間の皺に不覚ながら威圧を感じた。この男の弟子には、日本一の詩人と日本一の評論家がいるそうな。日本一の小説家、われはそれを思い、ひ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺まで名の響いた錦絵まで御差止めに成るなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」 という一文がありました。これは、「散柳窓・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・これこそは、日本一の男児でなければ言えない言葉だと思った。「三田君は、やっぱりいいやつだねえ。実に、いいところがある。」と私は、その頃、山岸さんにからりとした気持で言った事がある。いまは、心の底から、山岸さんに私の不明を謝したい気持であ・・・ 太宰治 「散華」
・・・を、死ぬまで駄目さ、きまっているんだ、よく覚えて置け、と兄の口真似をして、ちっとも実体の無い大衆作家なんかを持出してそいつを叱りつけて、ひそかに溜飲をさげているんだから私という三十五歳の男は、いよいよ日本一の大馬鹿ときまった。あのお方の・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・私は、みんな知っている。忘れられない。私は、日本一の陋劣な青年になっていた。十円、二十円の金を借りに、東京へ出て来るのである。雑誌社の編輯員の面前で、泣いてしまった事もある。あまり執拗くたのんで編輯員に呶鳴られた事もある。その頃は、私の原稿・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・その中には日本一の落差で有名だというのがある。大正池からそこまで二里に近い道程を山腹に沿うて地中の闇に隧道を掘り、その中を導いて緩かに流して来た水を急転直下させてタービンを動かすのである。この工事を県当局で認可する交換条件として上高地までの・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・通りに二つ並んで建ちかかっている大ビルディングの鉄骨構造をねらったピントの中へ板橋あたりから来たかと思う駄馬が顔を出したり、小さな教会堂の門前へ隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり、また日本一モダーンなショーウィンドウの前にめ・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・松平氏は第二夫人以下第何十夫人までを包括する日本一の大家族の主人だというゴシップも聞いたが事実は知らない。とにかく今日のいわゆるファイティング・スピリットの旺盛な勇士であって、今日なら一部の人士の尊敬の的になったであろうに、惜しいことに少し・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にで・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・徳川はただ日本一島の政権を執りし者のみ。日本の外には亜細亜諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今英雄豪傑の事跡を見るべし。歴山王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤なき・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫