・・・私が早稲田にいると言ってさえ、先生には早稲田の方角がわからないくらいである。深田君に大隈伯のうちへ呼ばれた昔を注意されても、先生はすでに忘れている。先生には大隈伯の名さえはじめてであったかもしれない。 私が先月十五日の夜晩餐の招待を受け・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・ その秋余は西片町を引き上げて早稲田へ移った。長谷川君と余とはこの引越のためますます縁が遠くなってしまった。その代り君の著作にかかる「其面影」を買って来て読んだ。そうして大いに感服した。(ある意味から云えば、今でも感服している。ここに余・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。 文鳥は三重吉の・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ ちょうど大学の三年の時だったか、今の早稲田大学、昔の東京専門学校へ英語の教師に行って、ミルトンのアレオパジチカというむずかしい本を教えさされて、大変困ったことがあった。あの早稲田の学生であって、子規や僕らの俳友の藤野古白は姿見橋――太・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・そう云った身拵えで、早稲田の奥まで来て下すって、例の講演は十一月の末まで繰り延ばす事にしたから約束通りやってもらいたいというご口上なのです。私はもう責任を逃れたように考えていたものですから実は少々驚ろきました。しかしまだ一カ月も余裕があるか・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・何しろ早稲田の全線座というので、特等三十五銭で見るのだから、少し気のきいたところはすっかり廻っての果です。スウェーデンの若い女王クリスチナがスペインから王の求婚使節になって来たある公爵だかと、計らず雪の狩猟の山小舎で落ち合い、クリスチナが男・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 坪内逍遙という人がいたおかげで早稲田に演劇に関するものがややまとまったというような偶然にたよっていては、まことに心細いことだと思う。〔一九四〇年十二月〕 宮本百合子 「実際に役立つ国民の書棚として図書館の改良」
・・・それまで娘早稲田に聴講生として通う。 ○○された少年 美貌、十六 入院、身体不動 看護婦さわぐ。うるさく。なめる。すいつく。 一人、自分から勝手にひどいことをする。そこへ別のが入って来、黙って見て居たが、・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ いらっしゃいまし。 千世子は新らしい客を見て云って篤の方に目を向けて、 どなた? 何ておっしゃる方?ときいた。「あの――笹原の肇って云うんです。 早稲田だねえ、君! 小さい時っからの仲よしな・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・しかも、同時代のインテリゲンツィアの社会的所属という面から見ると、写生文派の人々は主として当時の中流或は上流のアカデミックな教養をもった人々があつまり、自然主義文学は早稲田の文科を中心として、地方の中農などの家庭出身の人々が多かった。そのこ・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
出典:青空文庫